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日语论文先行研究范文(精选多篇)

发布时间:2022-08-15 15:06:32 来源:其他范文 收藏本文 下载本文 手机版

推荐第1篇:日语论文社会语言学先行研究

南京工业大学日语1001薛涵月

先行研究

(1) 呉宬嫺(2007)「台湾人日本語使用者の断り表現についての一考察― 日本語母語話者と中国語母語話者との比較を中心に―」 東呉大学日本語文学科修士論文 呉(2007)は台湾人日本語使用者と日本人の依頼と勧誘に対する「断り表現」を比較し、分析している。台湾人日本語使用者の中で、滞日経験のない人13名と滞日経験ある人15名を対象にする。しかし、台湾人日本語使用者に関する研究として調査対象が少ないのではないだろうか。それに、日本語学習者の学習年数と学習程度が「断り表現」にどのような影響があるのか、このプロジェクトには言及されていない。本稿では、50人以上の調査人数を設定する。そして、日本語学習者の学習年数と学習程度が「断り表現」にどのような影響を与えるのかを明らかにする。

(2) 施信余(2005)「依頼に対する「断り」の言語行動について―日本人と台湾人の大学生の比較」『早稲田大学日本語教育研究』6号、pp.45-61 施(2005)では日本人同士と台湾人同士(共に大学生である)による依頼に対する「断り表現」を調査した。このプロジェクトから見ると、「親疎関係」と「上下関係」に関する調査は触れなかった。それに、親疎関係によって異なる「断り表現」が見られるのではないだろか。一つの「断り」場面しか設定しないので、日中の「断り表現」による違いことは明らかでないと思われる。本稿では、談話分析テスト(DCT)を調査方法とし、台湾人日本語学習者を対象にアンケート調査を行う。「親疎関係」と「上下関係」によって6例の「断り表現」を使用する場合を設定する。

(3) 藤原 智栄美(2009)「インドネシア人・台湾人日本語学習者による「断り」のストラテジー : プラグマティック・トランスファーの再考」『茨城大学留学生センター紀要』7号、pp.15-28 藤原(2009)によると、日本人日本語話者、インドネシア人インドネシア語話者及び台湾人中国語話者という3者の比較を通し、それぞれの第一言語(母語)の「断り」についての相違が確認された。また、日本人、インドネシア人日本語学習者、台湾人日本語学習者に対して調査し、「断り表現」を分析した。しかしながら、親疎関係の要因は断り表現にどのような異なる言語行動をしているか説明されなかった。また、学習年数と学習程度が習得状況にどのような影響を与えるかも明らかでない。本稿では、質問内容として、「親疎関係」と「上下関係」に分け、6例の「断り表現」を使用する場合を設定する。学習者の習得状況を調査するために、調査項目には学習年数と学習程度を含める。

(4) 鈴木 恵理子(2010)「中国人日本語学習者の断りのストラテジー--中国国内学習者の場合」『東北大学高等教育開発推進センター紀要』5号、pp.73-80 鈴木(2010)では日本語母語話者、滞日経験ない中国人日本語学習者と中国人中国語母語話者を対象としたアンケート調査を行い、三つのグループによる断りの相違を分析している。このプロジェクトでは依頼と勧誘場面、親疎関係、上下関係の三つの要因が「断り」の違いに影響を与えず、社会文化的要因が言語運用に影響を与えると述べている。しかし、従来の研究では、親疎関係、上下関係によって異なる「断り表現」が見られると分析した。本稿では、この二つの要因が断りに影響を与えるのかを検討する必要があると思われる。

(5) 伊藤 恵美子(2002)「マレー語母語話者の語用的能力と滞日期間の関係について─ 勧誘に対する「断り」行為に見られる工学系ブミプトラのポライトネス—」『日本語教育』115号、pp.61-70 伊藤(2002)では日本語母語話者、マレー語母語話者とマレー人日本語学習者を対象として調査を行った。マレー人日本語学習者を滞日経験ある人と滞日経験のない人に分けられ、そして、滞日有無と滞日長短という二つの要素によって学習者に与える影響を分析した。このプロジェクトでは「親疎関係」と「上下関係」によって「断り場面」を設定したが、しかし、この二つの要素が「断り」に対する影響を詳しく分析しない。そこで、本稿の目的はこの二つの要素が「断り」に対する影響、また、この二つの要素による「断り」の違いを明らかにすることである。

(6) 加納陸人・梅曉蓮(2003)「日中両国語におけるコミュニケーション・ギャップについての考察―断り表現を中心に―」『言語と文化』15号、pp.19-41 加納・梅(2003)ではは中国人非日本語学習者(社会人37名、非日本語学習教師8名と英語科の学生27名)、中国人日本語学習者(日本語教師8名、日本語科学生2年生7名と4年生20名)及び日本語母語話者(社会人50名と日本人学生208名)にアンケート調査を行った。同じで単純なものを貸してもらう「断り」場面を設定し、「上下関係」と「親疎関係」の範疇がはっきり限定されていないので、本稿では「上下関係」と「親疎関係」によって、6例の異なる「断り」場合を設定する。

(7) 肖 志・ 陳 月吾(2008)「依頼に対する断り表現についての中日対照研究」『福井工業大学研究紀要』第二部

38、pp.133-140 肖・陳(2008)では日本人と中国語母語話者による「断り表現」を比較した。年齢の差いによって、被験者を四つのグループに分けられ、男女各15名(全員90名)を調査した。しかし、相手の設定は同じ友人であり、親疎の度合い、目

上と目下によって「断り」に対する異なる言語行動が見られる。本稿では、「親疎関係」と「上下関係」をはっきり区別し、「断り」場面を設定する。 (8) 施信余(2007)「待遇コミュニケーション」における「依頼」に対する「断り」の研究 」日台の言語行動の比較を中心に 早稲田大学日本語教育研究科博士学位論文

施(2007)では日本語母語話者と台湾人中国語母語話者を対象として調査を行った。「断る」場合において、親しい関係を持つ友人の中を「先輩」「同級生」「後輩」に分けられた。同じ親しい友人関係を持つという設定であったので、親疎関係による断りの違いがあまり見られない。本稿の目的は、親疎関係という要因が「断り」に対する影響を分析することである。

(9) 関口剛司(2006)「日本語の依頼と断り表現の研究―日台異文化コミュニケーションの視点から―」『銘伝日本語教育 』9号、pp.112-136 関口では日本語母語話者と中国語母語話者を調査対象とした。日中の「断り」による違いを明らかにしたが、日本語学習者と日本語使用者による「断り表現」は日本人による「断り表現」とどう異なるのか明らかにしない。本稿では、台湾人日本語学習者と日本人を対象として、それぞれによる「断り表現」の相違を比較し、分析する。

(10) 蒙 韫(2010)「日中断りにおけるポライトネス・ストラテジーの一考察--日本人会社員と中国人会社員の比較を通して」『異文化コミュニケーション研究』22号、pp.1-28 蒙(2010)では日本人会社員と中国人会社員を対象にし、親疎関係と上下関係によって8の「断り」場面を設定しており、異文化コミュニケーション・ギャップの観点から両者の「断り」の言語行動を分析している。しかしながら、中国人会社員(中国人中国語母語話者)しか調査、比較しない。中国人会社員日本語使用者に対する調査が行われていないので、本稿では日本人、台湾人(中国語母語話者)及び台湾人日本語学習者と使用者を対象に、依頼に対する「断り表現」を調査、分析したい。

推荐第2篇:关于日语敬语的研究论文

历史上,日本经历漫长的封建王朝统治,形成了严格的阶级制度。由儒家理学体系建立的王朝文化比以前更加繁荣。这种社会文化现象体现在日语形成了发达、复杂的敬语体系中。而且,动词通过固定的语法或表现方式,变成了敬语。也就是说,日语敬语是通过特定的表达方式、形成体系、固定的文法等形成了完整的体系。像日本这样拥有敬语体系的语言是极少的,这意味着,敬语可以称为是日语的一个特色。

一、日语敬语产生的背景

日本是一个岛国,自古以来环境比较恶劣,地震、台风、洪水比较多。古代的日本人因科技不发达,比较畏惧这种自然现象。比如“雷”这个词日语的发音「かみなり」,而《广辞苑》把它理解为「神鳴の意」,表示打雷是神仙弄出的声音。这个词到中世纪之后才被广泛应用。而在这之前用得较多的是「いかち」。理解为「厳(いか)つい」和「霊(ち)」,从日语汉字中我们可以看到,它表示拥有勇猛灵力的生物。还有“地震”这个单词,在日本古代把它叫做「なま」,它的本意是“生活在泥里的鱼”,它的日语汉字是“鲶”。过去,人们认为地震是这种鱼在地下引起的。它们都表现出了古代日本人对神或有灵力的生物的畏惧。面对这些自然现象,他们只有祈求神明或者有灵力的生物的庇佑。在祈求的过程中,对神明的态度就必须虔诚,使用的语言也必须是带有敬意的。所以,对于古代的日本人来说,敬语的产生是与他们的生活,以及当时的意识形态密不可分的。而即使在现代的日本,在请求别人帮助或表示感谢的时候,用敬语来表达会给对方带来一种“好感”,让对方心情愉快,这与中文的“请”、“您”等表示敬意的词语的功效相同。

二、日语敬语的使用状况

战后的日本虽然消除了过去严格的身份、等级差别,但人与人之间的个人条件、社会地位依然存在着差别,在同一集体中也存在着上级与下级、雇主与雇员、老师与学生、长辈与晚辈等差别,以这种差别为基础构成的人与人之间的上下关系是影响敬语使用的最重要因素。在同一集体内部,职位差别是决定是否使用敬语的重要因素。这些职位差别决定了每个人在所属集团中的地位和相互间的上下关系,人们需要按照自己所处的位置以及与同仁的上下级关系进行语言交际活动,这就要用到敬语。因此,要用好敬语,首先要了解现代日本人的敬语观,把握其主要使用原则。

三、日语敬语的分类

日语的敬语体系由尊敬语,自谦语,郑重语,美化语构成。不论是中国还是日语学界,都有很多关于日语敬语的研究。

1、尊敬语

尊敬语是说话人对长辈,上司等所有应尊敬的人及其所属的事务、性质、状态等表示敬意的表达方式。

①行为等(动词,动词性名词):

いらっしゃる、おっしゃる、なさる、召し上がる

お使いになる、御利用になる、読まれる、始められる

如:先生は明日学校に来られま。

木村さんが新聞を読んでおられま。

部長はうお帰りになりまか。

②名词:

名前→お名前 住所→御住所

如:お名前は何でか。

御住所は埼玉県でか。

③状态(形容词等):

忙しい→お忙しい 立派→御立派

如:御立派な建物でね。

④お+五段动词或一段动词连用形+で

如:吉田さんはうお帰りでか。

課長は何時ごろ御出勤でか。

2、自谦语

自谦语是用自谦的语言描述自己和自己一方的行为动作,用来表示对对方和话题人物的尊敬。

①伺う、申し上げる、お目に掛かる、

差し上げる、お届ける、御案内る

如:先生のお荷物、私が御持ち致しましょうか。

私はロビーで御待ち致しおりま。

②参る、申、いた、おる

行く·来る→参る 言う→申

る→いた いる→おる

3、郑重语

郑重语是用郑重地说话来表示对听话人的尊重。也是表示自己有高雅教养的表现。郑重语的基本的表现是「で」和「ま」。其他还有「ござる」「まいる」等。

如:れが王さんの本で。

私の叔父でございま。

雪が降っまいりました。

4、美化语

美化语是在名词或形容词前面加「お」或「ご」构成。

如:お酒 お料理

这些分类简单说明了日语的有关“敬语”的内容。但是在日常生活中,要想表达对别人的尊敬和敬意,除了使用敬语,很安静的说话方式、平和的表情、认真聆听的态度等等,也是很重要的。

四、日本人的生活离不开敬语

敬语的区分“内”与“外”的作用,很多人通常认为使用敬语会使交流双方的关系产生距离感,导致人际关系变得生疏、僵硬,所以朋友之间尽量不要使用敬语。在最近上演的日本电视连续剧《日本人不知道的日语》中,也阐述了同样的观点。

但是,在日常生活中,敬语却经常在无意识的情况下被人使用。比如:「クン」和「チャン」这两个单词。它们除了在公司里是上司对下属的一种称呼用语之外,在家庭内部也经常作为父母叫小孩的称呼语而被使用。而《广辞苑》对它们的解释是,接在名字后面,不仅表示敬称,还表示一种关系比较亲密的昵称。还有就是日本人在吃饭的时候经常说的「いただきま」,这是日本的一种传统习惯,为了感谢上天赐予食物,表达对神灵的敬意。而饭后说的「ごちそうさま」,则是对做饭人的一种感谢和敬意。以及出门的时候使用的「いっきま」、「いっらっしゃいませ」等日常生活中常用的表达方式,这些敬语不仅不会让对方产生所谓距离感,反而是体现了相互之间的尊重和亲昵。所以可以说敬语与日本人的普通生活是息息相关、密不可分的。

综上所述,日语敬语的存在是与日本人的文化、历史、心理息息相关的,生活中也是经常无意识地使用敬语。尤其在谈判交流、商业交际等公开场合,一定要注意使用敬语。虽然在日常交流中,会有人因为不熟悉敬语体系和意思而没法准确地表达自己的意见或者理解别人的想法,但由于敬语所产生的重要作用,使其在日本人的现实生活中成了必不可少的一部分。

参考文献:

[1]芳賀綏.日本人の表現心理[M].中央公論社,1990.

[2] 浅田秀子.敬語で解く日本の平等.不平等[M].雑談社現代新書,2011.

[3]奥秋义信.敬语正误用法500例[M].上海译文出版社,2006.

推荐第3篇:日语论文

长春工业大学学士学位论文

从《一个人的好天气》来看主人公的性格特征

计:学位论文表

——一部“飞特族”女孩儿的成长笔记

0 个

《一个人的好天气》(2007)是日本当代女作家青山七惠(1983-

)创作的第二部作品。该部作品于2007年获得了日本最高文学奖项--芥川奖。小说紧紧扣住了时代的脉搏,从主人公知寿身上,可以看到日本现代年轻人的普遍特征。因此,这部作品也成为了“飞特族”的代表作品。

本论文通过对知寿的性格特点、心理活动以及成长历程的深入探讨,总结出当代日本青年的心理和价值观。便于更好地了解日本年轻人的文化氛围。

关键词:自我封闭、受伤一族、飞特族、青春成长史

要 旨

『一人日和』(2007)は日本現代女性作家青山七恵(1983- )によって作られた二番目の作品である。この作品は2007年に日本最高文学賞の芥川賞に受賞され、社会で大騒ぎをした。小説は時代に合わせて、新世代の人生を反映したリアリティーを持っている。主人公知寿の身の上から、現代日本の若者が共有する特徴が見られる。そのゆえ、この作品はフリーター族の代表的なものとして受け入れられたのである。

本論は知寿の性格特徴、心理活動および成長する過程にもとづき、現代日本の若者の深層にあるものを検討けんとうしようと思っている。さらに日本の若者のカルチャーにたいして、より深ふかく理解するようになる。

キーワード:自己的閉鎖 傷をつける一族 飛特族 青春的成長する歴史。

前言

1.知寿的性格.......................................................1 1.1“受伤一族”性格的形成...........................................1 1.2知寿与母亲 ......................................................1 1.3知寿与吟子 ......................................................2 1.4知寿与三个恋人 ..................................................2 1.5“彻罗基们”与知寿的交友观.......................................3 2.知寿的成长过程...................................................3 2.1封在自我中的满足 ................................................3 2.2第一次失恋前后的季节 ............................................3 2.3来自吟子的暗示 ..................................................3 2.4 自我觉醒........................................................4 2.5性格的缺陷 ......................................................4 2.6第二次失恋后的物是人非 ..........................................5 2.7正视离别,走出自我 ..............................................5 2.8对幸福生活的勇敢追求 ............................................5 3.“飞特族”的文化圈................................................5 注 释…………………………………………………………………………..……7参考文献………………………………………………………………..…………..…8 谢

辞………………………………………………………..…………………..… 9

从《一个人的好天气》来看主人公的性格特征

——一部飞特族女孩儿的成长笔记

1.知寿的性格

本文通过对《一个人的好天气》进行分析。总结主人公知寿的性格特点和其成长经历。并联系现今日本社会上的年轻中特有的“飞特族”盛行的现象,分析当代日本青年的心理和价值观,从而对知寿的性格进行总结。

1.1“受伤一族”性格的形成

本文的主人公知寿是一个典型的“受伤一族”,她受过伤害,也害怕受伤,在这种潜意识的影响下,她的个性变得自我封闭。她不善与人交往,也不愿与人交往。长此以往,只生活在一种寂寞、空虚的状态中。知寿是敏感、脆弱的。她常常无视于别人的好意与关怀。可在潜意识里,她又是依赖这种关怀和温暖的。在这部小说中,知寿的性格被展现得淋漓尽致。她对生活的态度,在一定程度上是漠然而倦怠的,带着一种消极与自我否定来看待自己以及周围的事物。那种对于未来的迷惘与无助被他转化成一种自我反叛与自我批判。甚至觉得“生活是残酷的,一不小心就会堕落。”是她在生活中带有一种麻木与随波逐流。她向往着幸福,但不敢面对生活带来的挫折与打击,让她觉得自己的人生是“无意义”的。稍受挫折就“不想活了”。

知寿作为一名刚刚毕业的高中女生,没有去找成为正式社员或上大学。而是选择成为一名“飞特族”。寄宿在远亲吟子家中。这种无压力、无责任的生活,正是知寿生活理念的写照。对于刚刚步入社会的知寿来说,未来是充满未知的。在寄宿打工期间,知寿经历了两次失败的恋爱。也正是这两次恋爱,使知寿从迷惘无助的生活中解脱,走出了自我封闭的圈子,重新找到了生活的意义。并且在痛过之后。真正的走向独立。找了一份正式工作,搬离了吟子家,住到了职工宿舍,但找了一个“有妇之夫”。虽然这段新的恋情是十分极端的。但对知寿来讲,已经是她能所踏出的最大的一步。所以说,知寿的性格,是在受伤后,自我治愈、自我反省的一种成熟。

1.2知寿与母亲

知寿的父母在知寿5岁时离异,之后的知寿与母亲过着单亲生活。知寿在这件事上是受

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伤的。她想将这种无法言语的伤痛归咎于父母,却又因为难以启口而作罢。这是知寿自我封闭的开始。她对于父亲可有可无的对待也可以看出,知寿心里的“家庭”已经完全被“母亲”所替代。而面对母亲,知寿也是疏远的。特别是在母亲远行中国之后,知寿觉得在她心里,已经无法把母亲看作是最亲近的人。而是一位干涉她生活方式,对她的想法不屑一顾,甚至拿女儿去履行“约定”的人。知寿的母亲是一位很普通的日本中年女性,她年轻时离异,独自抚养自己的女儿,有自己的教职。她对知寿,有着作为母亲的关怀,也有着作为一个中年人,对知寿这样的年轻人未来的打算与指导。

知寿了解母亲的关怀,却无法消除母女之间的隔阂。她明白母亲从小到大抚育她的辛苦。却将这种辛苦转化成钱财的回报,甚至在与母亲相处时,因为无法还清而觉得生分、不自然。得知了母亲的新恋情,正是知寿第二次失恋后,看着母亲幸福的样子。知寿的心情是复杂的,为母亲不必孤单而高兴,却又觉得母亲要离开自己了,再也感受不到母亲无微不至的照顾而心情微微发酸。

而知寿所感觉到的母亲“好像生日宴会上的主角”一样的快乐时,让她更看到了自己失恋后的孤独、寂寞。这种无法对母亲言说得清的痛苦,使她开始思考一个以前从未想过的问题。她开始思考自己的人生意义,并且将她的想法说给吟子听,并最终让她明白了自己的缺陷,使她真正成长起来。

1.3知寿与吟子

作为寄宿家庭的主人,吟子与知寿,是人生中的两个极端。一个是风华正茂一个则已垂暮年。而知寿在吟子同住的这段时间里,既没有年轻人浮躁的习性,也没有感受吟子有老年人特有的不好相处之处。平淡而真实的生活,就这样一点点铺陈开来。而吟子在知寿的成长中,也起到了不可或缺的作用。

知寿在东京的打工,就是从吟子的家开始的。刚开始对于吟子“热情的接待,殷勤的招呼”有点不太适应的知寿,后来渐渐地感受到老人不修边幅、大而化之,却又在生活中透露出老人家的智慧积极的处事哲学。知寿在一开始对这种智慧是不屑一顾的。在知寿眼里,吟子有些事情做的是毫无意义的。就像她看见吟子化妆时一样。觉得“都没人会看,化来干什么呢”但在相处中,知寿渐渐感到吟子的“独到之处”。

在知寿所经历的两次失败的恋爱中,吟子一直都陪伴在知寿身边,在知寿觉得孤独、迷惘时,她在知寿的成长中是不可或缺的,是她在知寿的人生道路上推了一把,而她与芳介的黄昏恋,一直或多或少的影响着知寿。在内心深处,知寿是羡慕着吟子的爱情的。他一直将吟子积极乐观的生活态度看在眼里。甚至问出“一个人真的可以一下子用完他一生所有的恨吗”这样的问题。可见,知寿是希望了解进入吟子的精神世界的,特别是在她失恋时,她在吟子那里找到许多的安慰与陪伴。

与知寿的母亲相比,吟子在知寿的成长中,成为知寿的领路人。相较于母亲的幸福,吟子的恋爱更让知寿有所触动。知寿在这两种不同的幸福的感召下,开始正视这种从前从未考虑过的生活方式。也是吟子在与知寿的闲聊中,通过一种极温柔的方式,让知寿了解到“大家都会走的。”“没有人会一直陪在你身边”这样一种道理。而正是这种体悟,让知寿真正尝试着走出自我封闭的圈子,走出失恋的悲伤。也是吟子,在知寿搬到宿舍住的前一天,告诉知寿“趁年轻的时候多吃些苦头。”这是吟子最为语重心长的一句叮咛了。而这也是知寿性格的致命缺陷。吟子用她老人独特的“慧眼”找到了知寿的症结所在。寥寥几句话,却比知寿母亲长篇大论的更加贴近知寿的所求。所以说,说吟子至于知寿,是人生导师一点也不为过。

1.4知寿与三个恋人

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知寿的两次恋爱,均被贴上“失败”的标签。由它们所组成的荆棘痛苦的成长之路的开端,知寿与阳平相恋。这也是知寿成长的开端。知寿是喜欢阳平的,可这段恋爱却是没有结果的。知寿将他们恋爱失败的原因归咎于两人之间已经可有可无的需要感。他认为在这种情况下,分手是必然的。只是“不知道为什么分手,该怎么分手”而只好“顺其自然”了。但这种“顺其自然”,是知寿消极、敏感的体现。她无法正视与阳平之间逐渐转淡的感情,没有最初那种愉悦之后,在知寿眼里,就只剩下分手一途。她在潜意识里已经决定了要分手,而这种消极和敏感,也在她的第二次恋爱中得到体现。在他与藤田的恋爱逐渐失去新鲜感时,这种“预感”又出现在知寿的头脑里。而这些完全推动了她对藤田的有意无意的疏离。阿丝的到来则是给了知寿放弃的一个好的借口。最后,藤田与知寿的恋爱走到了尽头。但是在知寿心里。她还是爱着藤田的,她心中对藤田的不舍让她做出了最后的挽留。可藤田与阳平如出一辙的冷漠使知寿无法再靠近,却也无法摆脱藤田走后无法排遣的寂寞与痛苦。这次失恋带给知寿一个很大的伤口。她辞掉了工作、买醉、落泪,甚至发出了“我的人生没有意义,即使我死了也不会有人为我流泪”的悲叹。也觉得“再也不会有这样全心全意、不顾一切的恋爱了”。

这段恋情发掘出知寿不为人知的世界,却也动摇了这个世界。她无法再在自己惯有的圈子里去寻找自己想要的幸福。所以说,这两次痛苦的恋爱,是知寿成长的主要原因。即使后来的知寿,十分极端的找了一位有妇之夫。知寿对于爱情和生活,则真正有了认知和体会,就像她“列车载着我,飞速朝有个人等着我的车站驶去”。可见,知寿对于生活,还是有她的期待和希望。唯一与从前不同的是,她可以正视生活的失败和伤痛、相逢与离别。

1.5 “彻罗基们”与知寿的交友观

知寿房间里的“彻罗基”们,不单单是一群已死的猫咪。它们不论在吟子心中,还是素未谋面的知寿心中,都有着很深的魔力。吟子的心中,它们每一只都与她度过了一段美好的岁月,而这岁月也继续传承着。而知寿心中的“彻罗基”,则是她所能看见和怀念的一种代表。这代表知寿对于从前的无法割舍。她觉得回忆是承载在物品中的,所以她将自己的“顺东西”,看作是一种对于失去的人的怀念。并以此来排遣寂寞。而在吟子眼里,照片只是一种纪念,而真正作为回忆保留的,其实就是回忆而已。这是一位年逾百岁的老人的人生体悟。她甚至不在意自己走后是否有人记得她。对于知寿把她挂在墙上的建议也不甚在意。知寿理解中的回忆,是需要媒介的。这也是知寿孤独敏感的体现。恐怕对于知寿,她生命中的“彻罗基”,不单单只是她鞋盒子里的那些而已,那些她未曾在意的人,也就是那样悄悄离去。再无踪迹可寻。

2.知寿的成长过程

这部小说以心理描写见长。在短短的一百多页,四十个小节的故事中,心理描写占了大部分。而在这些心理描写中。知寿的变化清晰可见。

2.1封在自我中的满足

知寿来到东京,正好是一个冬末春初的开始,也是她高中毕业,走向社会的开始,更是她母亲远行中国、寄宿在银子家中,与阳平的恋情明朗化的开始。这些开始,在文中,通过短短三四个小节就叙述的很好。可见,知寿的生活圈子是极其狭小、自我的。

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2.2第一次失恋前后的季节

知寿搬到东京之后第一次与阳平的会面。是挫败的。“走在通往车站的樱花行道树下,白色的花瓣飘落在身上,我不禁烦躁起来。”这样的知寿是敏感的,“我一听人家说是樱花怎么怎么美,款冬花茎、菜花、新鲜的洋葱头怎么怎么好吃,我就来气,”“真想给他们一句‘有什么可显摆的。’我才不会为这些个东西瞎激动呢”而这种焦躁,在知寿看来。是周围环境的不是,她希望夏天赶快到来,让她可以沐浴在阳光下。而不是现在这种瑟瑟的寒风之中。而在她与阳平分手的那天,风和日丽又成了一种错误。她觉得自己“宁愿将全身暴露在仿佛要毫不留情夺走皮肤脂肪的严冬的寒风中,也不要这样的风和日丽。”对于自己的悲伤,外界一无所知,这样的体认给了知寿一种孤独的焦躁。并使她憎恨起天气来。

2.3来自吟子的暗示

知寿在于吟子的谈心中,看到了吟子作为一个老人的生活经历。并意识到“可能的话,我还是愿意永远这么年轻,不经受实施磨难,静静的生活下去。”虽然她也知道“这当然是不可能的”。却也将知寿害怕受伤的心理描写出来。而紧接着,知寿“对于将来和梦想,以及刻骨铭心的恋爱等等,即使描绘不出来,我也朦朦胧胧怀有这样的期待。”“希望做一个像样的人,度过一个像样的人生;想尽量锻炼自己的肌肤,成为一个能够经受任何磨难的人”这样对自己的鼓励和期冀。也直白的“说”了出来。将一个平凡但认真的知寿刻画的生动传神。

看到吟子与芳介恋恋不舍的告别,她是羡慕的,却无法坦率的说粗自己的羡慕,只好说“没完没了的挥手,让人担忧是不是得了老年痴呆。”这之后的很多次会面,知寿都会在心里对这对黄昏恋人产生一些“恶毒”的想法。无法坦率说出自己羡慕的知寿,也是别扭可爱的。

“和吟子面对面吃饭的时候,我总觉得自己的岁数倒比她大得多。”“活到了这个岁数的人面前。恍惚觉得对方不会再继续老化,只有自己朝着前方的苍老飞速的坠落下去。”面对淡然却滋润的吟子,知寿有这样的焦躁无可厚非。在知寿的心中,吟子的生活其实是她一直想要的生活。她向往着这种平静,也看到了她与吟子之间的差别。吟子已经走过了她生命中的大部分,时间的沉淀给了知寿一种美的感悟。而知寿本身的生活是流动而活跃的,在这种焦躁中,知寿不止一次想要“成为”吟子一样的老人。在情人节那天,知寿一边咬着巧克力,一边想:“真想穿上她的裙子照张相,五十年以后在拿出来看。”吟子的魅力在知寿的眼中,是一种不可或缺的苍老。

2.4自我觉醒

“我感觉那里面的东西在逐年退色,气味也在消失。难道是我变了吗?”这是知寿在与藤田恋爱后的整理自己的鞋盒子是发出的疑问。是知寿变了吗?我觉得的是的。知寿与藤田的恋爱和与阳平的恋爱不同,已不再是学生时代的恋爱了。知寿更多的关注着外界。这使作为知寿回忆媒介的旧物渐渐无法排遣知寿的寂寞了。作为回忆的东西,渐渐的失去了从前的熟悉感,知寿正在逐渐的将自己剥离封闭和回忆。

“今天这里可能是最后一次了,他这么想,也就不回头看我了。我懒得去收拾他作个的坐垫和嘴巴碰过的马克杯,就当这一切都没发生过吧。作为交往过的男孩子之一,应该几十年后与藤田有关的所有一切都埋到记忆深处去,像门楣上那些消除了个性的死去的彻罗基们一样。”知寿在与藤田分别后的第一个念头,就是她房间里门楣上的彻罗基,她希望自己在分手后可以平静的接受这个事实。就像那些已经失去的曾经。她可以像看到彻罗基们那样回

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忆自己的过去。不为这次失恋而伤心。但事实是相反的,知寿的这次失恋时伤痛的,她觉得自己“无可救药了”。

2.5第二次失恋后的物是人非

而吟子,则用开玩笑似的方式说出“人早晚都得走的,”这样的话来,这句话不仅点出知寿害怕孤独寂寞的内心,也使知寿在内心真正了解到“没有人会一直陪伴着你”的道理。让知寿下定决心“该离开这个家了”。

“我好想做不到将他人和自己紧紧地联系到一起。我也想尝试一个人生活。 我希望能有一次,不是别人离开我,而是我离开别人。”这样的知寿终于了解到,自己的人生是孤独而封闭的。在她的生活中,一直重复着与人相遇,却又与人别离,在原地的只有自己。别动的看着别人来来去去,这种深入骨血的孤独,让她明白,如果自己不摆脱自我封闭的境况。那么她的人生将是一个怪圈。不论走到哪里,都会重复着一直看着别人来来去去。直到生命结束的悲惨境地。让她恍然发觉,自己是依赖着吟子的温暖和关怀的。可是如果一直依赖,不去为自己一人打算的话。她的人生将是一塌糊涂。

“早晚有一天,吟子也会成为彻罗基的一员吧,想象着她的相片挂在墙上,早晚有一天吟子也会像那些彻罗基们失去个性吧,不会再有人谈论起她,吃过什么穿过什么,这些日常琐事就像原本不存在似的,会消失的无影无踪。”

知寿想象着吟子离开后的场景,这样的场景让她难受。她发现,一直在自己身边陪伴自己、照顾自己的吟子,也会在不久的将来离她而去。她终于下决心离开自己眷恋的地方,去自己生活,她所追求的幸福不是看着别人离开。而是真正能在分别时,独自品尝留下的美好回忆。使她不必再为孤独恐惧。

“我以后也能像她这样吗?到了七十岁还爱打扮,住在自己的小房子里,情人节去买巧克力。我能过上这样的生活吗?”知寿终于看到了吟子所阐释的幸福。她不禁想到,自己是否也可以这样生活,一辈子努力生活,经历过爱恨,经历过波折,到老了还能遇到爱情,情人节去买巧克力。这些最最真实,最最令人感动的人生体验。是知寿向往的,却一直求之不得的快乐。她要的不是身心的苍老。即使苍老是必经之路。她要的是心灵的归属。

2.6正视离别,走出自我

“电车经过车站时,我忙低下头。说一千道一万,我还是没有勇气毫无顾忌地环视车站。我不想看见藤田和阿丝。有多长时间没见了,他们还记得我吗?” 分手后第一次路过拥有回忆的车站,知寿是无法面对的。她无法面对的是曾经的爱恋和伤痛。她不想去直面自己的失败和受伤。她将自己缩回了壳里。而等到她再一次路过这里,是她作为正式员工搬离了吟子家之后。这一次的知寿,看到了熟悉的景象一一流过“小卖店依然在,站在那里的协管员我都不认识。藤田、阿丝、一条也没看到。”物是人非,知寿终于将这段伤痛作为一种回忆保留在心底,她真正从伤痛中走了出来,也真正从自我中走了出来。

2.7对幸福生活的勇敢追求

“即使我走到站台上大喊一声‘喂’,这声音要传到那个院子里,也仿佛要好几年。”对于一切物是人非,知寿的感觉都不尽相同,但在路过吟子家时,对于曾经在这里所经历的一年,还是充满着怀念和伤感的。再放开自我以后,知寿对于自己曾经的孤独和敏感,还有自我封闭的岁月,有着淡淡怀念和忘却的疏离。知寿真的成熟了。就像他最后所说“电车载着我,飞速朝着有个人等着我的车站驶去。”

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3.“飞特族”的文化圈

本文的作者青山七惠,是一位“80”后作家。她笔下的知寿,也是日本目前许多年轻人的生活的真实写照。这部小说自然平淡,却又在无声细微之处发人深省,令人回味。特别是因子与知寿的几番对话。更体现出一个老人一生的生活经历和态度。发人深省。她笔下的知寿、知寿的母亲与吟子,是在一个时代中,不同年龄阶段的代表。他们对于人生不同的对待和理解。代表了日本不同年龄段的日本女性所经历的人生际会以及不同的人生体会。吟子是传统女性的代表,知寿的母亲则是一个典型的职业女性。而知寿,则代表了当代最为流行的“飞特一族”。

飞特族的定义是,在18岁到34岁之间,没有固定工作,靠打零工来维持生活的年轻人。而本文的另一大特点,则是知寿作为体现当前社会上典型的“飞特族”中的一员。 “飞特族”的出现,是日本年轻人特有的自我封闭与自我否定的体现。随着离婚率的升高,晚婚晚育、少子无子化的影响,新一代的日本青年的孤独感和无助感增强,而他们对于家庭、事业、人生、的思考与价值观发生了巨大的变化。害怕失败而不敢尝试,害怕受伤而不敢碰触。已经成为年轻人性格的一种特征。

文中的知寿正是这类年轻人的典型代表,她作为“飞特一族”,从她对工作、人生的态度就可以看出。知寿的性格是自我的,这种自我成为年轻人新的象征。知寿的母亲与知寿之间淡淡的隔阂,就是中年人对青年人的这种自我的不了解与不尊重。也正是这种不了解和不尊重,使这些青年对社会产生了一种不被接纳的感觉。这也是“飞特族”出现的另一大原因。而知寿最终走向成熟,脱离了“飞特族”,成为一名正式的社员,却还是没有放弃自我的理念和生活的信条,就是为了自己而生活,为了幸福而生活。这样的知寿,是成熟了的,但并不是失去个性的。尽管她在最后找了一个有妇之夫,但是她对于幸福的憧憬和追求却没有改变。

所以说,这部小说可以说是知寿,作为一个“飞特族”女孩的成长自白。

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1飞特族:所谓“飞特族”,实际上是Freeter的音译,是英文“自由”(free)○与德文“劳工”(arbeiter)的组合字。Freeter代表的是一种自由的工作方式

2彻罗基:文中吟子所养的第一只猫,剩下的猫咪死去后都叫“彻罗基”○。

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1.《日本文学》 肖霞 山东大学出版社 2.《日本文学》(修订版)刘利国 北京大学出版社 3.《日本文学教程》吴鲁鄂、王净华 武汉大学出版社

4.《日本文学研究:历史足迹与文学现状》 谭晶华 译林出版社 5.《20世纪日本文学史:以小说为中心》 谢志宁

浙江大学出版社 6.《日本现代文学选读》(下卷)(增补版) 于胜荣 北京大学出版社 7.《日本近代文学名著欣赏》 谭晶华 译林出版社 8.《日本现代文学选读》(上卷)(修订版) 于胜荣 北京大学出版社 9.《鲜活与枯寂——日本近现代文学新论》 刘振生 吉林大学出版社 10.《全球化语境中的日本女性文学》 肖霞山东大学出版社 11.《日本文学名著日韩对照系列丛书》 吉林大学出版社 12.《日本文学于文学批评研究》 刘利国 外文出版社 13.《日本当代小说导读》 刘家鑫 南开大学出版社 14.《日本文学选集》 赵晓柏 凤凰出版社

15.《日本文学翻译读本》 阎萍 外语教学与研究出版社 16.Modern Japanese Literature 商务印书馆

17.《日本文学名作选》谭晶华 上海外语教育出版社 18.《日本近代文学》 王之英 重庆出版社

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向教导我论文的林老师表达最深切的谢意,她牺牲自己的休息时间在百忙之中帮助我改写论文,分析文章。给我提供了很多意见和便利。十分感谢林老师。

老师们总是悉心的教导我,经常抽出课余时间给我补课。在准备论文的过程中,各位老师的宽广的胸怀、严谨的学术作风让我深深的感动。在此,向各位老师以及教导我的老师们表达我真诚的感谢和无限的敬意。

推荐第4篇:日语论文

学习《初级日本语》课程的体会

数学与信息技术系黄鸿华 200511120

3现在大学校园里出现了学习小语种的热潮,大部分的同学都想利用大学时期多掌握一门语言以便为以后开拓一条更宽更广的就业道路打下坚实的基础。其中有很多同学对日语表现出浓厚的兴趣,有同学学日语是因为对日剧和漫画感兴趣,有同学是因为想了解一下这个邻居,有同学是想参加国际日语能力考试以增加竞争力等等。刚开始我自己对日本的时尚科技和日剧比较感兴趣,所以在这个学期的选修中选了日语,随着学习的不断深入,也打算在以后学到一定阶段去参加能力等级考试了。在学习了一个学期的初级日语后,对学习这门语言初级阶段的总结。

日语学习的第一个门槛是五十音,这一关可以顺利地通过的话,日语入门就不会有太多问题了。日语中使用的文字有平假名、片假名、汉字三种。

在选修课开始正式上课之前,我自己通过一些课文教程学习了五十音,根据教程和自己学习的体验,我觉得在学五十音图时一定要平假名和片假名相对应着记忆,很多同学虽然学习了很久,但还是不能识记清楚片假名,这就是因为刚刚开始学习假名时的方法不正确,没有遵循一一对应的思路造成的。刚开始我每天只学习两到四行,第一天学习あ行五个和か行五个,反复书写、反复诵读,熟能生巧,就这样一个星期后五十音图已经能够相当熟悉了。在学习到了一定的行数之后,还可以找课文里的单词,自己组成词写,比如わたし,あなた,这样边练习假名的书写记忆,边熟悉一些日后要学习的单词。而到了正式上五十音的时候,老师教的比较快,由于自己有先学过并不感到困难,倒是其他同学两节课是短时间记住了,但是课后没有多放时间巩固,导致没几天就忘光了。

总之,五十音是学习日语基础中的基础,在初步学习日语阶段应该还要注意以下一些知识点:日语的发音:包括元音(单元音、元音的连续、元音的清化),辅音(清音、浊音),拗音,拔音、促音和长音,外来词专用音节;日语的文字和书写方法:日语的文字,假名(平假名、片假名、假名的由来),日语汉字,长音的书写方法,日语的标点符号;日语发音须注意的问题:声调、语调和一些重要的区别。

学习完五十音,就可以拼一些简单的单词和句子了。日语中使用的文字有平假名、片假名、汉字三种。平假名可以书写所有日语发音,主要用于表现具有语法功能的词;汉字用于表示实物的名称或动作;片假名用于书写外来词、拟声词、拟态词和一部分动物与植物的名称;罗马字一般多用于招牌、广告,文章中很少使用。但是因为以前学过英语,认为语法才是比较基础的,于是在课外时间自己开始学习基本的语法,刚开始比较简单,只是一般的判断句,而日语与汉语最明显的一点就是日语的谓语动词往往放在句末,这是最特别的一点。比如说“我去学校”,在日语里面说成わたしは学校へ行きます,把“去”这个动词放在最后。其次,日语是以其格助词为关键的,如“に”、“を”等,每一个就有很多种用法。比如“を”,它就有表示对象的用法,如本をよむ;还有表示起点的,如家を出る;还有表示在某一范围内移动的,如海を泳ぐ。而汉语里则简单得多,没有这么多的格助词。另外,日语里有许多时态,而这些时态是通过词形变化表现出来的,如て形,た形等等。但汉语里则没有这么多词形变化,只是通过加上一些如“了”、“曾”、“过”等副词来表示。同时日语中的这些形相当难记,而

且很容易忘。但是如果掌握了规律,就很容易记了,而且可以举一反三。

至于选修课上老师讲的语法比较简单,都是课本上有说明的,而且毕竟只是选修,一整个学期也就十几次课,也就没有讲得那么详细了。

在学习了一段时间日语之后,有些电视或者歌曲的意思听得懂了,当然歌词要是都有标假名的话唱也是没有多大问题的,只是把时间放在语法上,很多汉字都不知其假名拼法,但意思可以从汉字中估计出来。当然有些汉字的意思与中文却完全不一样,印象最深刻的是“勉强”,在日语中是学习的意思。

而在一次偶然的机会,朋友要我帮他写一份自我介绍,借助工具书帮他写了一篇,虽然字数不多,对于刚学日语不久的我已经很不容易了。内容如下: 呉先生:

こんにちわ。私は林楽松です。ずっとあなたの配慮を受けています。ありがとうございます。

私は物理学部の学生で、私の専攻はネットの工事です。私の趣味はコンピュータ、デジタルとネットで、これらも私の技能です。私は新しい技術を勉強したいと思います。日本の科学技術はとても進歩していると思いますから、わたしは日本語を勉強します。 日本語の勉強は難しいです、おもしろいです。わたしはしっかり勉強します。

结果那天他就说错了三处,但总体还算不错的,修改之后如下:

>呉先生:

>こんにちわ。私は林楽松です。

>世話を受けています。ありがとうございます。

>私は物理学部の学生で、私の専攻はネットの工事?です。

>私の趣味はコンピュータ、デジタルとネットで、これらも私がもっている今後私は新しい技術を勉強したいと思います。日本の科学技術はとても進歩していると思いますから、わたしは日本語を勉強します。

>日本語の勉強は難しいです、おもしろいです。わたしはしっかり勉強します。经过这次之后也给自己一些信心,毕竟这是自己写的第一份比较完整的文章。

转眼一个学期即将结束,其实能在选修课学到的东西并不多,很多同学都是刚开始有兴趣就去上课,但是渐渐的人去得也少了。我认为这门选修最好是能够连续上两个学期或者是更长的时间,可以让学过一学期的同学能够继续深入学习,不过很多人都并不重视这门课,也就致使在上过几节课之后不感兴趣了。假如只有一个学期的课,倒不如介绍一些日本文化习俗,因为要靠十几次课来学日语基本学不到什么东西,只能讲一些发音之类的知识。总的来说,这门课还是很不错的。对于要真正学好日语还是要靠自己努力,和学习英语时一样,适当的背诵课文也是非常必要的,牢记初学日语所背诵的句子,它们将成为未来口语脱口而出的重要来源。只有靠自己坚持不懈地努力,才能真正学好一门语言。

推荐第5篇:日语论文

我眼中的日语与日本文化

姓名:钟艳

学号:20086284 学院:土木工程学院

日语

日语一共有五十个音图,其中44个主要音节。日语中使用的文字有“平假名”“片假名”“汉字”三种。平假名可以书写所有的日语发音,主要用于表现具有语法功能的词,汉字用于表现实物的名称或动作。片假名用于书写外来词,拟声词,拟态词和一部分动,植物的名称。此外,还使用罗马字,但多用于招牌或广告,一般文章中较少使用。

日本文化

说起日本的文化,就不由让人首先想起有名的银座,银座(日语:银座;平假名:ぎんざ;罗马拼音:Ginza;英语:Ginza)是日本东京中央区的一个主要商业区,以高级购物商店闻名,是东京其中一个代表性地区,同时也是日本有代表性的最大最繁华的街。 象征日本自然,历史,现代的三大景点(富士山,京都,银座)之一的银座,与巴黎的香谢丽大街,纽约的第五街齐名,是世界三大繁华中心之一。银座是通过不断填海造地才逐步形成今日之构架。

其次是日本良好的环保习惯,日本人民养成将垃圾分类并且装好只在特定的日期与时间将其带出放在特定的地方,而且会把自己在外制造的垃圾带回家,这是值得每个国家的人民学习的好习惯。

再次是日本的完善的养老机构,他们为老人的生活提供了便利与保障,使老人能够好好享受晚年;接着是日本的寒暄礼仪,日本人相互见面多以鞠躬为礼。比较熟悉的人见面互相鞠躬以二三秒钟为宜;如果遇见好友,腰弯的时间要稍长些;在遇见社会地位比较高的人和长辈的时候,要等对方抬头以后把头抬起来,有时候甚至要鞠躬几次。他们在社交场合上也施握手礼。

通过这门选修课的学习,更增加了自己学习日语的兴趣。 呵呵。。。ありがとう。

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元旦日本元旦的由来

日本人把12月31日称之为“大晦日”,也就是除夕日。除夕晚上,日本人称之为“除夜”,除夜时他们祈求神灵托福,送走烦恼的旧年,迎来美好的新年,称之为“初诣”。除夕午夜,各处城乡庙宇分别敲钟108下,以此驱除邪恶,元旦的由来日本人则静坐聆听“除夜之钟”,钟声停歇就意味新年的来到。人们便离座上床睡觉,希望得一好梦。元旦早上,家人围坐在一起,互相讲述除夕做的梦,以测吉凶。日本人称元旦初一为“正日”。1—3日为“三贺日”。在正日,小辈须先去父母那里拜年,向父母问安,然后到亲友家拜年。新年还是个“吃”的节日,各国人民都以食用自己民族的食物来祈求好运。元旦的由来日本人在“正日”这一天,早餐是很丰盛的,吃砂糖竽艿、荞麦面等,喝屠苏酒。此后一连三天,则吃素的,以示虔诚,祈求来年大吉大利。现代日本多数城里人已放弃新年吃素匀惯,改在“除夜”吃一餐空心面条,以祝在新的一年里,健康长寿。

有的还摆上一些松竹,叫做“门松”。许多公司大厦门口和街头巷口都用松竹梅搭起设计新颖、别具一格的牌楼,以示庆贺。元旦的由来人们还将鹤、龟等象征长寿的动物剪纸贴在住宅内外,祈祷平安。同时还根据十二生肖,刻个年肖,相互赠送。邮政省还大量发行绘有年肖的“贺年邮票”。无论是个人,还是团体之间,互赠贺年片成了最热门的祝贺方式,日本人称它为“飘舞的风筝”,遥致深情。在新年里收到谁收到的贺年片多,谁就会感到新的一年前途美好,财运亨通,格外喜悦。元旦的由来新年里,街坊四邻、亲戚朋友、孩子之间拜年的习惯仍然盛行。见面时的第一句话就是“恭贺新年”。

习俗【日本】 日本人特别重视新年,每年的12月29日—1月3日为全国休假日。日本人把12月31日称之为“大晦日”,也就是除夕日。除夕晚上,日本人称之为“除夜”,除夜时他们祈求神灵托福,送走烦恼的旧年,迎来美好的新年,称之为“初诣”。除夕午夜,各处城乡庙宇分别敲钟108下,以此驱除

邪恶,日本人则静坐聆听“除夜之钟”,钟声停歇就意味新年的来到。人们便离座上床睡觉,希望得一好梦。元旦早上,家人围坐在一起,互相讲述除夕做的梦,以测吉凶。日本人称元旦初一为“正日”。1—3日为“三贺日”。在正日,小辈须先去父母那里拜年,向父母问安,然后到亲友家拜年。新年还是个“吃”的节日,各国人民都以食用自己民族的食物来祈求好运。日本人在“正日”这一天,早餐是很丰盛的,吃砂糖竽艿、荞麦面等,喝屠苏酒。此后一连三天,则吃素的,以示虔诚,祈求来年大吉大利。现日本多数城里人已放弃新年吃素匀惯,改在“除夜”吃一餐空心面条,以祝在新的一年里,健康长寿。

新年里,日本各户门口上方往往都拉起一条草绳或用草绳编的圆圈,称为“注连绳”或“注连饰”。有的还摆上一些松竹,叫做“门松”。许多公司大厦门口和街头巷口都用松竹梅搭起设计新颖、别具一格的牌楼,以示庆贺。人们还将鹤、龟等象征长寿的动物剪纸贴在住宅内外,祈祷平安。同时还根据十二生肖,刻个年肖,相互赠送。邮政省还大量发行绘有年肖的“贺年邮票”。无论是个人,还是团体之间,互赠贺年片成了最热门的祝贺方式,日本人称它为“飘舞的风筝”,遥致深情。在新年里收到谁收到的贺年片多,谁就会感到新的一年前途美好,财运亨通,格外喜悦。新年里,街坊四邻、亲戚朋友、孩子之间拜年的习惯仍然盛行。见面时的第一句话就是“恭贺新年”。

元旦的由来:

大约在公元前五万年左右,古埃及人已由游牧改为农耕,定居在尼罗河两岸,他们的农业收成与尼罗河是否发生洪水有很大关系。古埃及人从长期的观察中发现,尼罗河泛滥的时间是有规律的,他们就把这个时间每次都记录在竹竿上,从中得知两次泛滥时间之间大约相隔365天;同时还发现,当尼罗河初涨的潮头来到今天开罗城附近的时候,也正好是太阳与天狼星同时从地平线上升起的时候。于是,古埃及人便把这一天定为一年的开始。这是元旦最早的由来。

元旦在我国汉语中是一个合成词,元是开始或第一的意思。旦是一个象形字,表示太阳从地平线上升起。我国殷商时代的青铜器上有旦的象形字了

在历法上,人们习惯称地球绕太阳转1周为1年。但是由于地球绕太阳运转没有固定的起点和终点,所以一年的起点和终点都是人为规定的,这就造成了各种历法的不一致。相传“元旦”一词来自我国最早的皇帝之一——颛顼,他规定以农历正月为“元”,初一为“旦”。后来有的朝代对元旦的日期有所变更,但原则上还是以每年的第一天为元旦,如夏代以正月初一为元旦,但商代以12月初一为元旦,而周代又以11月初一为元旦,秦代以10月初一为元旦。直到西汉武帝时,大历史学家司马迁等人重新制定历法,并规定每年正月初一为元旦,从此历代不改。

1911年辛亥革命成功后,决定采用国际通行的公历,于是将农历元旦改为“春节”,而把公历的1月1日称为元旦。新中国成立之时,开始正式使用“公元纪年法”,把每年公历的1月1日定为元旦。

现在,世界上大多数国家把每年1月1日作为元旦,因为他们多采用了国际通行的公历。但也有一些国家和民族由于本地的历法传统及宗教信仰、风俗习惯、季节气候的不同,因而他们的元旦日期也不一样,这也使得这个世界多姿多彩,更显民族的特色了。

元旦是全世界人民传统的新年。元旦,就是一年的头一天。元旦是合成词,拆开来讲,元是第一或开始的意思,旦字的原意是一轮红日从地面升起。

在中国,元旦这一名称,都说起自传说中三皇五帝之一的颛顼,他以农历正月为元,初一为旦。据《史记》载:夏代以正月初一为元旦;周代以十一月初一为元旦;秦以十月初一为元旦。辛亥革命后,我国把正月初一称作春节,公历1月1日叫新年,不称元旦。直到1949年9月27日,中国人民政治协商会议第一届全体会议通过使用公元纪年法,才又将公历1月1日正式定为元旦,农历正月初一定为春节。

阴历的祖先埃及历,把天狼星和太阳一同升起的那天作为元旦;阿富汗把春分作为元旦;犹太人把秋分作为元旦;而寒带的爱斯基摩人的元旦是不固定的,他们把第一次下雨作为元旦。公元前46年,罗马皇帝儒略·凯撒制定儒略历,开始时他把冬至作为元旦。但是,人们坚持要把朔日作为元旦,因此就把元旦延到冬至后10天。 秘密日本新年都要用松树作为装饰,有了装饰才有新年的气象,因为有了门松才会有年神降落,门松也是门神降落地点的标志.但是很多日本都不知道,门松的装饰只能在12月13-28日装饰,30日是正式装饰,但是29日与31日都不允许装饰,因为29日在日本神道上是苦日子,31日是一夜装饰,非常的不吉利,所以这两个日子都一般不装饰门松.但是现在日本的建筑外观,居住形态都发生了很大的变化,门松的装饰已经没有以前那样的复杂简单了很多,甚至有的家庭还把圣诞节的装饰作为门松,这些都被日本人接受了.神社门口的门松

日本新年装饰除了在门外的门松,其实还有在室内的装饰.从古代开始上至天皇下至一般的大户(大名)开始,都会在新年向日本的神奉献日本年糕(镜饼),这个由来就是日本天皇的三种神器:神镜,玉,剑.日本天皇没有所谓的玉玺,而只有从古代传下来的三种神器,天皇家族在一段时代内内部争斗很激烈,由各自武士集团支持下争夺皇位,当一方失败后交出的权利象征就是三种神器:神镜,玉,剑.三种神器只有天皇家才有,一般家庭怎么办?日本古人就想出来用其他东西代替,神镜是年糕(镜饼),玉是桔子,剑是晒干的柿干.而主要的就是镜 .镜饼意味着可以给家庭带来好运,这样两块镜饼叠在一起是两重的意思,还有阴阳相辅好上加好的意思.镜饼的周围装饰还有很多好运的解释有以下几点:

一.镜饼的白色是长寿与夫妻圆满 二.镜饼上的海带是喜悦的意思 三.镜饼边上的桔子是代代繁荣 四.镜饼边上的串柿是获取好运

五.镜饼上的树叶是家族一直持续下去 „„„„

中国新年的日期,在各朝代并不相同。夏朝定在一月初一,商朝定在十二月初一,周朝定在十一月初一,秦朝定在十月初一。到西汉太初元年(公元前104年),汉武帝接受司马迁等人的建议使用《太初历》,恢复了夏历即农历,以正月为岁首,把二十四节气订入历法。后来历朝历代虽对历法有过修改,但基本上仍然以《太初历》为蓝本,以夏历的孟春正月为岁首,正月初一为元旦、元日,即新年的第一天。

1911年辛亥革命以后,清朝统治被推翻,孙中山在南京建立中华民国政府。各省都督府代表在南京召开会议,讨论历法问题。会上达成了“行夏历,所以顺农时;从西历,所以便统计”的共识,决定使用公历,把公历1月1日定做“新年”,把农历正月初一称做“春节”,但并未正式命名和推广。1949年9月27日,中国人民政治协商会议第一届全体会议通过使用“公历纪年法”,将公历1月1日定为“元旦”,把农历正月初一定名为“春节”,并规定春节放假三天,让人们热烈地庆祝农历新年。

在两千多年的历史进程中,我国的新年礼俗经历了萌芽、定型、裂变、转型的发展过程。 先秦时期,新年习俗处于萌芽阶段。此时的庆祝活动主要是在一年农事完毕之际,为报答神的恩赐而举行的“腊祭”。《诗经?七月》中记载了西周时期旧岁新年交替时的节庆风俗。诗中所谓“朋酒斯享,日杀羔羊,跻彼公堂,称彼觥,万寿无疆”,是说人们将美酒和羔羊奉献给诸神,以酬谢一年来神的保佑和赐福。这时的欢庆活动因各诸侯国采用的历法不一样而没有统一的日子,大致在冬天农闲之际,它是后来新年习俗的雏形。

新年习俗定型于汉代。经过战国和秦朝末年的社会大动荡后,西汉初期推行“休养生息”政策,社会生产得到了恢复和发展,社会秩序比较稳定,人们的生活情趣高涨,一系列节日习俗形成了。《太初历》推行后,历法长期稳定,正月初一作为新年的日期也因此得到确立。这样一来,原来各地区分别在冬末春初不同日子举行的酬神、祭祀和庆祝活动便逐渐统一在农历正月初一这一天进行。随着社会的发展,从汉朝到南北朝,正月初一过新年的习俗愈演愈烈,燃爆竹,换桃符,饮屠苏酒,守岁卜岁,游乐赏灯等活动都已出现,新年成为我国第一大节日。

新年习俗在唐代发生裂变。唐朝是思想文化昌明的时代,同时也是内外文化交流频繁的时代,新年习俗渐渐从祈祷、迷信、攘除的神秘气氛中解放出来,转变成娱乐型、礼仪型节日。元旦的爆竹不再是驱鬼辟邪的手段,而成了欢乐、喜庆的方式;庆祝新年的重点由祭神转向了娱人,转向了人们自己的娱乐游艺,享受生活。所以,可以说,也只有在唐代以后,新年才真正成为普天同庆,亿民欢度的“佳节良辰”

新年习俗到明清时期转型。这种转型主要表现在两个方面:一是礼仪性、应酬性加强。人们在新年相互拜谒,达官贵人互送名帖,或者登门叩拜;平民百姓也讲究“礼尚往来”,馈赠礼品,互相拜年。二是游艺性进一步加强。新年期间,玩狮子,舞龙,演戏,说书,高跷,旱船等各种娱乐活动五彩缤纷,绚丽夺目。北京人逛厂甸,广州人游花市,苏州人听寒山寺钟声,上海人游城隍庙……各地游艺活动自具特色,各种娱乐活动层出不穷,令人眼花缭乱。这时的新年习俗将中国传统文化完美地融合起来,成为集中展示我国几千年风俗文化的民俗博览会。

两千多年的历史,中国的新年风俗盛行赤县神州,渗透到了每个人的生活之中,也铸造了每个炎黄子孙的灵魂。过大年,每到阴历年底赶回家与亲人团聚,祭祖宗,吃饺子,拜年,赏灯,这些已成为炎黄子孙共同的习惯。到了现代,元旦的庆祝习俗就更简单了,人们更倾向于将元旦假期作为休息娱乐放松的好时间,看电视、看电影、短线旅游。下面就简单看一下目前通用的元旦习俗之三大庆祝方式:

元旦习俗之庆祝方式一:全中国甚至是全世界都知道的,很多国家都把元旦顶为法顶节日,在元旦这天放假。新中国成立后,也规定元旦为法定节日放假一天。

元旦习俗之庆祝方式二:现在比较普遍的就是由团体组织的活动,如元旦联欢会、挂庆祝元旦的标语、或举行集体活动等,以前就有组织敲锣打鼓、集体跳民族舞的,现在在电视记录片上还能看到,到科技发展的今天,就演变为联欢晚会什么的了。近年更是有旅游、聚会等节目,反正元旦这天并没有太多的传统,在这一天假期了就任人发挥了。甚至,元旦这天对年轻一代来说只意味着三天的假期,而元旦前夜收看央视和省级卫视主办的跨年晚会逐渐成为这两年的娱乐趋势。

元旦习俗之庆祝方式三:保留着中国传统的庆祝方式就是在以民间了,尤其是在农村。每到元旦,家家户户都会燃放炮竹,杀鸡宰鹅的,拜祭过各方神灵后就是一家人团聚一餐。至于更为浓重的庆祝方式暂时还没见过。

一、拜神与祭祖

古代而来的

过年风俗源于远古农耕民族的“腊祭”。“腊祭”是古人“神先享用”意识的体现,人们习惯“索鬼神而祭祀”、“合聚万物而索享之”,形成“岁终出祭”古俗。由于宗教、风俗本身的保守性及历代统治者的倡导,这种原始时代的“敬神”礼俗代代相袭,并逐渐演化为祭灶神。民谚曰:“三祭灶,四扫屋……”即指每年的腊月二十三(或二十四)祭祀灶神。灶神,俗称灶君、灶爷、灶王爷,自灶神产生开始,老百姓就顶礼相拜。人们想祈福禳灾,便对灶王爷恭恭敬敬。

“二十三,糖瓜粘”,说的便是腊月二十三或二十四,灶王爷升天禀报一年情况时,人们要祭灶,麦芽糖和酒必不可少,酒是为让灶王爷喝得晕头转向,麦芽糖甜而粘,灶神嘴吃甜后只能说好话。民间百姓把“拿人手短,吃人嘴软”用在对灶神的供奉上。宋代范成大《祭灶诗》即云:“古传腊月二十四,灶君朝天欲言事……送君醉饱登天门,杓长杓短勿复云,乞取利市归来分。”祭灶风俗伴随社会的进步而渐渐淡化,取而代之的则是祭祖。过年祭祖,既是对祖先一个悼怀,也祈望祖先保佑来年的平安。祭祖一般在年三十,一般百姓人家在扫房子、净庭院、易门神、换桃符、贴春联之后,或举家去给祖先上坟祭拜,或把先祖的遗像挂在中堂正壁墙上,摆上祭品,点上香烛,让后辈祭拜。晚上那顿准备多日的团年饭,大都也是先请祖先“前来”享用后方可开席。各地祭祖形式虽不尽相同,但“祭祖祈福”的含义大致一样。

二、团年饭守岁

据民间相传:“年”原是太古时代的一种怪兽,每届寒冬将尽新春来临之际,便四出噬人。古人为防御“年”的掠食,便聚集在一起,燃起篝火,投入竹子使其爆裂出巨响,把“年”吓跑。既然“年”怕火光、爆响,人们每逢除夕便贴红对联、燃放爆竹,在烛火通明中聚集守更待岁。于是,便形成吃团年饭与除夕守岁的风俗。

“团年饭”又称“年夜饭”、“分岁饭”。根据《荆楚岁时记》记载,至迟在南北朝时已有吃团年饭的习俗。除夕守岁也是从吃团年饭开始,这顿饭常常得准备好几天,是农家一年中最丰盛的阖家团聚之宴,一般从掌灯时分入席,有的一直吃到深夜。可见这顿“团年饭”是何等重要。“团年饭”南北风俗各异,但大都有所寓意。北方人喜欢包饺子,意即“更岁交子”;南方人喜欢打年糕,楚地人喜欢做鱼肉糕,“糕”与“高”谐音;红烧全鱼则是祈祷“年年有余”。

除夕守岁俗名“熬年”,南北朝时期就有文字记载。“帘开风入帐,烛尽炭成灰。勿疑鬓钗重,为待晓不催。”在这“一夜连双岁,五更分二年”的除夕之夜,家人团圆,欢聚一堂,共叙亲情中辞旧迎新,寄托了人们对来年年景的美好期望。

三、恭贺拜大年

《北平年谣》有“三十日,黑夜坐一宿;大年初一,出来扭一扭。”新年正月初一,人们早起后穿上崭新的衣服,放过“开门炮”便走亲访友,相互拜年,恭祝来年大吉大利。古代通常的“拜年”顺序是:先拜天地,次拜祖宗,再拜高堂,然后出门拜亲朋友好,亦有初一拜本家、初二拜岳家、初三拜亲戚等不同的讲究,一直拜到正月十五,这年才算拜完了。古时有拜年和贺年之分:拜年是向长辈叩岁,贺年则是平辈间相互道贺。在宋代,亲朋好友之间会相互送帖恭拜新年,这大概是早期的贺年片。至明代,贺年片设计更加精致,帖上不仅印有送者的姓名、地址,还写有“新年快乐”、“吉祥如意”之类的祝辞。

四、压岁钱祈福

过年时晚辈给长辈拜年,长辈要将事先备好的“压岁钱”赐予晚辈,寓意“压岁祈福”。相传“压岁钱”能压住邪祟,因为“岁”与“祟”谐音,故又称“压祟钱”。晚辈得到“压岁钱”即可平安度过新岁。压岁钱可在晚辈拜年后当众赏给,亦可在除夕夜孩子睡着时,由家长愉偷地放在孩子的枕头底下。清人吴曼云《压岁钱》诗中云:“百十钱穿彩线长,分来再枕自收藏。”民间百姓将“压岁钱”放置孩子枕头下,正是为了“压祟”,期望在恶鬼妖魔或传说中的“年”去伤害孩子时,孩子可以用这些钱贿赂它们而化凶为吉。当然,这也是长辈们希望孩子们在来年平安健康的美好祝愿。

1月1日元旦在日本有着特殊的意义,虽然过去在元旦举行的大多数宗教活动现在已消声匿迹、但其风俗习惯却还深留民心。明治维新前,日本人也过旧年,后改为过新年。特别引人注目的是装饰品,把象征天神降临的来年丰收和家庭幸福的松树,装饰在门前,这个叫做“门松”或称“松饰”。这是在800年前平安朝末期,从中国传来的一种风俗习惯。 装饰镜糕的风俗也是代代相传,日本的年糕是指用糯米蒸的糕。年糕中有水稻的神灵,很久以前人们就相信吃了年糕,就会获得一种神奇的力量,因此作为一种特别的食品或者供品,在祭祀和节日庆典时必不可少。一般的镜糕为圆形、上下底部平整的形状,从江户时代起,一般把2个圆年糕重叠起来使用,现在仍然沿用当时的习惯。

当然也不能忘记屠苏酒、年夜饭、杂煮。屠苏酒是由山椒、肉桂等中草药调制好后,将其提炼成酒,1月1日—3日3天内喝。屠苏酒要用上等的瓷器等特别的容器盛装,杂煮,简单说来就是年糕汤。元旦吃杂煮的习惯始于中世纪初,有清汤式、酱汤式、还有加入甜甜的赤豆的。根据各地不同的风俗习惯,放在杂煮内的年糕有方形、圆形之分。

新年菜肴一般盛在漂亮的套盒内,如果是5层的套盒,第一层放黑豆沙丁鱼干、晒干的青鱼子等庆祝节日的菜肴;第二层放鱼糕、鸡蛋、鱼肉蛋卷、甜食(山药或白薯泥加栗子的一种甜食)等小拼盘;第三层放蘸糖色烤的师鱼、加盐烤虾、松叶烤乌贼等烘烤食品;第四层放白萝卜、红萝卜、牛蒡、藕、慈菇等需要慢慢炖煮才会入味的食品;第五层放由红、白萝卜点缀的大马哈鱼,以及醋拌凉菜,例如醋拌藕。最近,多数家庭都使用3层套盒,一般第一层放祝贺节日的饭菜,第二层放烧烤食物,第三层放炖煮食品。选用的材料各自都有其特殊含义,例如青鱼子象征人丁兴旺,海带卷象征生活美满,黑豆则是双关语,代表勤勤恳恳工作。

贺年卡与压岁钱也是新年的一大特色。用贺年卡向平时难以见面的朋友寄上一份自己的新年问候与祝福。不过日本的贺卡与中国不同的是,大家用的都是邮局发行的50日元的有奖贺卡,不用特殊的东西,故此日本也没有人专门去印制高价的贺卡。邮局一般要大家12月25日前寄出,到1日早上统一送到各家。到5号前,你还可以根据收到的贺卡,看把那个朋友忘了,再补发一次。孩子们则可以从长辈那里拿到压岁钱。据说以前是给小孩年糕,现在基本上都是把现金装在“红包”内送给小孩。99年平均每个孩子收到26790日元的压岁钱,由于经济不景气,与往年相比有所下降。大多数孩子们在圣诞节时已经收到最想要的东西,所以据说一般都把压岁钱存起来。

提到新年,除了以上几点之外,还有放风筝、拍羽毛毽子、玩纸牌、跳加官,拍羽毛毽子时,输了要用墨汁在脸上画道道,所以只有在过年时能看到这种一脸黑的怪相。过去还可以看到舞狮子,现在基本上已经没有了。而且,过去直到1月7日搬走门松,这七天内一直都是新年的节日气氛,现在最多3天,马上又回到正常生活。但是,在新年时,确实有很多人感到神清气爽,这种感觉在其他时候是没有的。

日本的元旦日期随着时代的变迁而改;明治时期以前,日本人把农历12月 30日 称 为 大 晦 日(Omisoka),也就是除夕日;但明治以后,大和民族就把年转移到阳历12月31日。从此日本人把每年的12月29日至1月3日为全国休假日。

日本人把12月31日称之为“大晦日”。除夕晚上,日本人祈求神灵托福,送走烦恼的旧年,迎来美好的新年,称之为“初诣”(Hatsumode)。除夕午夜,各处城乡庙宇分别敲钟108下,以此驱除邪恶,日本人则静坐聆听“除夜之钟”,钟声停歇就意味新年的来到。人们便离座上床睡觉,希望得一好梦。

元旦早上,家人围坐在一起,互相讲述除夕做的梦,以测吉凶。日本人称元旦初一为“正日”,在正日,小辈须先去父母那里拜年,向父母问安,然后到亲友家拜年,新年还是个“吃”的节日,各国人民都以食用自己民族的食物来祈求好运。

日本人在“正日”这一天,早餐是很丰盛的,吃砂糖竽艿、荞麦面等,喝屠苏酒。此后一连三天,则吃素的,以示虔诚,祈求来年大吉大利。现日本多数城里人已放弃新年吃素习惯,改在“除夕夜”吃一餐空心面条,以祝在新的一年里,健康长寿。

元旦的庆祝方式一:

全中国甚至是全世界都知道的,很多国家都把元旦顶为法顶节日,在元旦这天放假。新中国成立后,也规定元旦为法定节日放假一天。

元旦的庆祝方式二:

现在比较普遍的就是由团体组织的活动,如元旦联欢会、挂庆祝元旦的标语、或举行集体活动等,以前就有组织敲锣打鼓、集体跳民族舞的,现在在电视记录片上还能看到,到科技发展的今天,就演变为联欢晚会什么的了。近年更是有旅游、聚会等节目,反正元旦这天并没有太多的传统,在这一天假期了就任人发挥了。甚至,元旦这天对年轻一代来说只意味着一天的假期。

元旦的庆祝方式三:

留着中国传统的庆祝方式就是在以民间了,尤其是在农村。每到元旦,家家户户都会燃放炮竹,杀鸡宰鹅的,拜祭过各方神灵后就是一家人团聚一餐。至于更为浓重的庆祝方式暂时还没见过。

要旨

中国と日本は古くから習俗の文化の上で密接な関係と交流を維持してきている。しかし、時が経つにつれて、両国は祝日の習俗の上でもいくつか変化が発生して、そこでたくさんの共通点と相違点が現れた。その中、中国の春節と日本の元旦の習俗の上からの比較を明らかにすることによって、いっそう明確に両国間の文化の吸収と融合、融合と発展の特徴を究明することができる。

キーワード:起源 習俗 言語

数字 伝統文化

初めに 昔から、中国と日本は習俗の上ですべて深い関係を持ち、中国の春節と日本の元旦における習俗の上でたくさんの共通点と相違点が存在している。何故このような情況が生じたか。私は中国の春節と日本の元旦の起源、習俗、言語、数字、伝統文化などの比較を通して、明確に両国間の文化の吸収と融合、融合と発展の独特な特徴を理解することが出来ると思う。

1、新年の起源

夏朝以前に“年”の概念があった。その時の農業は多毛作ではなく、1年にただ1季の作物だけを植えた。だから、穀類が一回1年で熟して、人人が農作物を再び収穫するように、いずれも祝い活動を行って、大衆は神の恩に応えて、同時に来年天候が順調なことをも望んで、災害を避けて魔をよけるのが春節の起源だ。日本の元旦は中国の春節に相当するが、それは新年の形式が中国古代から形成され広く伝わっていたので、その祝日の意義は中国の春節と同じでは、すべて来年の好運を切に願うためで、良い新しい意味がある。

2、中国の春節と日本の元旦の習俗の上の違同点

2.1中国の春節と日本の元旦における習俗の上の共通点

2.1.1 中国の春節は日本の元旦と同じく全て楽しく祝って、昨年に別れを告げ新年を迎える祝日の雰囲気に満ちている

例えば、大掃除をしたり、家を飾ったりすゐ;ある地方は提灯をつるし色絹を飾って、都市と農村の各地はすべて飾られて新しくなゐ。商業区は華やかで、色とりどりで美しい;機関、学校、病院、会社、大通りなどには、全部国旗、彩色旗が掛かって、祝日のスローガンを貼って、大部分の表門は生花あるいは盤桔を飾り付ける。要するに、何所でもお祝いの雰囲気に満ちあふれる。

2.1.2 中国の春節は日本の元旦も全国的な祝日である

中国の春節の休日は普通は旧暦の1日から7日まで、全部で7日の祝日がある。日本は全国の休暇日は毎年12月29日から1月3日にかけて、全部で5日である。

2.1.3 中国の春節にと日本の元旦には除夜があり、夜を徹し新年を迎えるもちを食べ、一家団欒の食事、お年玉をもらうなどの習俗がある。例えば、祝日の時に、全家族が集まって、除夜の一家団欒の食事を食べて、酒を飲む;親友は新年の挨拶をする方式を通して互いにお歳暮を送って、友情と感情を深める;目下の人は年長者に向ってお辞儀をし、年長者は目下の人にお年玉などにあげる。

2.1.4 中国の春節と日本の元旦には人人が未来への願望と目的を切に願うという点では同じだ

例えば、中国では祝日に門の上に門を守る神の画像、軒の下に灯籠が掛けるのに对して、日本では入り口の扉に門松をかけて、門の上に藁縄などに掛けることはすべて災害を避けるための魔よけで、来年の四季の平安、幸運の願望と目的を享受出来ように切に願う。

だから、中国の春節と日本の元旦は習俗の上の共通面から中国と日本は両国習俗の文化の上で吸収と融合の関係が存在していることを知ることができる。

2.2中国の春節と日本の元旦における習俗の上で違う方面

2.2.1 中国の春節と日本の元旦の娯楽と食事

中国では新年が到来すると、どの家でもドアを開け,まず、爆竹に火をつけて放ち、パンパンという爆竹の音で古いものを除いて新年を歓迎する。日本は元旦の期間爆竹をならさないで、どの家もひっそりと静かに新年を祝うのだ。中国の春節は普通は除夜の晩に全家族はギョーザを食べる。いくつかのギョーザの中に小銭などがあって、それを食べたら幸運があるという。除夜の晩に全家族が囲んでいっしょに長い麺を食べて長寿を祝り日本の元旦は新年を祝る。

2.2.2 中国の春節と日本の元旦の期日

中国の春節には旧暦の正月1日で、日本の元旦には西暦の1月1日である。

2.2.3 中国の春節と日本の元旦の期間の家屋の装飾

中国は春節の時に赤色の春聯を貼って、来年の祝福を表現する;年画を貼って、旧年に別れを告げ新年を迎えることを示す;“福”の字を貼って、“福が着く”を示して、人々が来年幸せな生活の良好な願望を求めることを体現している。日本の元旦は藁縄を掛けて、扉に門松をかけて祝賀するので、元旦の期間、日本人はよく門の上に1本の藁縄を掛けて、門前に門松を插して、それから縄の円環の上にダイダイ、ミカン、コンブ、ロブスターなどを掛ける。門松の飾物は普通の竹の葉、松の枝、ミカン、藁縄、ロブスターなどで、來年幸福と家族が長生きすることができることを示し、百歳まで長生きして魔をよけることを切に願う。

2.2.4 中国の春節と日本の元旦の習俗の上の守岁中国の春節には全家族が夜を徹して眠らないで、談笑したり楽しんだりして、中央テレビ放送による春節聯歓晚会を見て、夜を楽しく過ごす。日本の元旦は新年を迎える時は全家族がストーブの側を囲んで座って、静かに寺院の108の鐘の音を鳴るのを待って、日本の男女のグループに分かれて紅白の歌合戦を行うテレビで過ごす。

2.2.5 以上の中国の春節と日本の元旦の習俗の上で違いからは中国の春節と日本の元旦が節日習俗の文化の上で独特な特徴を持ち、親しくても離れて、融合と発展の特徴を持っていることがわかる。

3、言語の比較から見る 3.1 文字言語の使用

3.1.1 共通の祝い言語

文字言語の共通の使用の上で、中国の春節と日本の元旦は共同の言語が“新年おめでとう、よいお年を、明けましておめでとう、裕福になれますように、財產がたまるように喜びましょう、萬事如意、五福臨門、新春大吉、五穀豐收、財源廣進、財運亨通、金玉滿堂、千金白順、財を成し豐かになることから家族の幸せと、願い事がか

なうように、自分が思った通りの一年を、自分が思う事が實現出来るように”などがある。

3.1.2 忌讳の祝い言語

両者は生、死、病、残、破、苦、空、割、砕、終、絶、亡、失など緣起のわゐい言葉は口にしてはいけない。例えば中国の春節で“不運で、運が悪くて、破れる”などの語句の使用を避けて、日本の元旦の期間は“落ちる、離れる、失う”などのフレーズを使うことを避ける。

3.1.3 私達は文字言語の使用を通して、中国の春節と日本の元旦には人人は言語の上で縁起が良い語句を使うことを好み、縁起の良くない言語を使うことを避けることを知ることができる。

3.2数字の比較から見る

3.2.1 数字“4” の比較

中国の春節と日本の元旦の習俗の相違は数字の上でも体現している。中国で、“4”は“事”と発音が近く、“44”は“万事”のことを連想し、“万事が思うままだ”という意味を表す。しかし、日本語の “4”の発音は“死ぬ”と同じだ, “14”の発音は“重く死ぬ”と同じだ,“42”の発音は“死ぬに”(死に行く)と同じだ。日本人はこれらが“4”あるいは“4”の数字を含むことからは同音の語句を連想するので、とても縁起が良くないことと感じる。そのため、“4” を避けゐのだ。

3.2.2 数字“9” の比較

中国で、“9”と“久”との発音は近くて、幸福の祈祷に用いて長くて好運が切れないことを表すことができる。だから、春節の時に“9”の数字を持っている言語を使うことを好む。しかし、日本語の中のでは“9”の発音が“苦しみ”と同じなため、日本人は“4989”(“四苦八苦)と“3396”(散散苦労する)の組合せの数字をタブーとする。だから、祝日の時にはほとんど“

4、9”の言語をくわえた言葉を使用しない。

だから、中国の春節と日本の元旦は“4”と“9”の数字比較の禁忌を通じて、中国と日本は祝日の習俗における数字言語の発展に各各の独特な特徴が存在していることを見抜ける。

4、伝統文化の比較から見る

4.1 中国の伝統文化が東アジアの文化の中心

中国の春節と日本の元旦は祝日の習俗の上でどうして多くの相違点が現れたのか。湯重南先生は《日本文化現代化》という本の中で中日の伝統文化に主な特徴があることを言及する。東アジアの文化は中国で源を発して、中国は東アジア文化センターで、中国の古代文化は5千年の歴史を持っていて、その周囲の地区と民族の古代の文化に対して巨大な影響を及ぼした。

4.2 日本が中国の伝統文化を吸収した

日本は地理上大陸と断絶した西太平洋の島国で古代の文化は立ち後れて、西暦紀元のくらいから、大量に中国の古代の先進的な伝統文化を吸収し、模倣主義をとり、中国の伝統の文化を取り入れ、当民族の伝統文化として広く信じられている。それで、日本がこれらの思想を受け入れたため、旧正月前後に行った活動は中国の伝統の文化の大部分そのまま取り入れたものである。

4.3日本が中国の伝統文化を革変する

いかなる文化の融合にもすべて次のような1種の現象を持つ:自己の文化を変えないで別の文化を少しずつ受け入れて、受ける側の主体性は種々の条件から選択し、変形しながら、次第に受け入れる。だから、日本の伝統文化にとっては、日本人は積極的に中国の伝統文化を吸収すると同時に、中国の伝統の文化を革新改造して、中国の伝統文化の母体の上で、新しい文化子体を育成した。この種類の新しい文化子体は更に新しい生命力を持つ。総じて言えば、中日両国の伝統の文化は同根だが、異なっている果実を結んだ。

4.4 中国の春節と日本の元旦は中日の伝統文化の範疇の力強い現れだ

私達はその上から中国の春節と日本の元旦は発展の過程で吸収と融合、融合と発展の特徴を持っていることがわかる。

おわりに

要するに、中国の春節と日本の元旦間の起源、習俗、言語、数字、伝統の文化の上の比較から見ると,中国の春節と日本の元旦は習俗の上でなぜたくさんの共通点と相違点が現れるのかというと、主に中日両国の人民はずっと友好的な交流と接触を続けていて、祝日の習俗文化の上で、吸収と融合、融合と発展の特徴を持たということだ。そして、私達言語の学習者にとって中国の春節と日本の元旦における習俗比較を通して、もっと良く中日の間の伝統の文化を理解することができ、日本言語を学ぶのにたいへん役に立つ。それによって中国と日本の伝統文化の上で、中華民族の優秀な文化の伝統を発揚するように、日本の民族文化の長所をくみ取り、内容と形式上で積極的に革新することによって、中国と日本の伝統文化とが互いに交流したり、融合したりすることを促進することができる。

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摘要

从敬语的文化背景开始阐述,探讨敬语使用的原因,详细介绍了日语敬语的分类以及使用原则,最后列举了几个关于日语敬语的误用例子。

关键词:敬语分类原则误用

敬语的使用在日语中占有不可磨灭的地位,已然融入日本人生活的点点滴滴。老人小孩、男性女性、各行各业,从日常的基本对话到电话用语、庄严的场合用语基本上都涉及到敬语的使用。因此,学好敬语十分重要。

日本人为什么要使用敬语呢?就好像在中国有尊老爱幼的美好传统道德一样,敬语的使用显示了一个人高尚的品行、社交的能力,以及一定程度地反应了这个人的知识水平。另外,敬语的使用也给日本带来一个和平的时代,和谐的社会环境。

日本人的敬语使用可以追溯到古代前期,经历从奈良时代到古代后期平安时代,中世前期镰仓时代,中世后期室町时代,近世江户时代,近代明治大正昭和二十年以前,现代昭和二十年以后这七个时期。主要因为日本是一个等级森严的社会,从古至今流传着一种从上到下的等级观念,为了维护这种等级,为了突出对听者或者对话题中的对象的尊敬,通常都会使用敬语。但在二战后因为日本社会民主化,日本敬语开始根据说话者间的亲密程度划分。日趋完整的日语敬语体系十分复杂,对于不同的场合,不同的对象,敬语的使用不尽相同。 要正确使用敬语,首先要清楚日语敬语的分类。传统中的敬语根据语法理论分为尊敬语、自谦语和郑重语。后来日本政府推出新分类法,把日语敬语分为尊敬语、谦让语I、谦让语II、丁宁语和美化语五大类,以方便学生正确掌握敬语的用法。

一、尊敬语是对对方或者第三者方面的行为、事物、状态等的叙述。包括以下五种形式:

1、敬语助动词----れる、られる

动词未然形(五段动词)+れる

动词未然形(其他动词)+られる

另外要注意サ变动词的敬语态是:サ变动词词干+される

2、敬语句形,敬语句形是用固定的句形表示的敬他语。

① お+五段动词或一段动词连用形+になる

ご(御)+さ变动词词干+になる

②お+五段动词或一段动词连用形+です

ご(御)+さ变动词词干+です

③お+五段动词或一段动词连用形+くださる

ご(御)+さ变动词词干+くださる

④お+五段动词或一段动词连用形+ください

ご(御)+さ变动词词干+ください

3、用补助动词なさる构成敬他语。

(お)+五段动词或一段动词连用形+なさる

(ご)+さ变动词词干+なさる

而其否定形是なさいません

4、敬语动词,除了上述的一般动词经过变化表示敬语外,有一些动词有专门的敬语动词。如いらっしゃる、召し上がる、おっしゃる等。

5、表示尊敬的接头词和结尾词

a 用接头词お和ご(御)接在与对方有关的名词前面,以此表示尊敬。

b 用结尾词さま、さん、どの,接在与对方有关的名词后面,以此表示尊敬。

二、谦让语I是从自己方面向关于对方方面或者第三者方面的行为事物等的人物叙述。如:伺う、申し上げる、お目にかかる、差し上げる、お届けする、ご案内する。

三、谦让语II也可说成郑重语,是对话或文章中的对方,郑重的叙述自己方面的行为、事物等。如:参る、申す、いたす、おる。

四、郑重语是对讲话中或文章中的对方谨慎认真地叙述。

1,郑重语助动词です、ます、であります、でございます。

2,郑重语动词ございます、おります。

3,郑重语补助动词~てまいります、~ております。

4,接头词お、ご。

5,其他表示郑重的词语。如よろしい、本年。

五、美化语是美化事物的叙述。如:お酒、お料理。

敬语的使用有一定的原则。总的来说,作为个人,遇到比自己年长的人、比自己职位高的人要使用敬语,这是日语中的上下关系;对生人、外人使用敬语,对亲近的人、自己人不使用敬语,这时日语中的亲属关系;还有一种内外关系,如作为公司内部的人,在公司里也一样要对职位较自己高的人,或者理应尊敬的人使用敬语。但对于公司外的人称呼公司内部成员时不适用敬语。家庭同理。

1、基于权势关系的敬语

比如对皇太子的称呼要用さま,而被称为“先生”的只有政治家、律师、医生和教师,这和这些职业拥有的较高社会地位是分不开的。也就是说,根据自己所属集团中的地位和相互间的上下关系,来决定使用怎么样的敬语。

2、内外,亲疏关系

敬语其实从本源来讲是属于一种敬畏的表现,所以对于不熟悉的人也要使用敬语

3、基于利益关系的敬语

在有求于对方或者期待对方给予某种恩惠或关照时,心理上会处于劣势,反映到语言行为中就变成了敬语的使用。反之,如果人处于被求者或者施受者的立场是,他使用敬语的医师就会比前者大为减少。

4、基于公私场面的敬语

在许多场合,是否使用敬语已经不仅仅是处于尊卑意识或者单纯的尊敬他人,二十由于公共场面的礼节、礼貌或者表现自己的教养与修养,就和在家穿便服,出席郑重场合会穿西装甚至礼服是一样的道理。

另外,敬语使用很多时候还会受到心理因素等的影响而产生差异。

在了解敬语使用的场合以及用法之后,还要特别注意容易误用的几类典型例子。

1、敬语过剩。敬语滥用,双重或多重敬语的重复使用,这不仅导致句子累赘,语气啰嗦,而且这种用法是不成立的。也有对物品过分使用敬语的现象,不是所有的物品都要用お、ご作接头词表示尊敬的。

2、尊敬语与谦让语混淆使用。在使用尊敬语和谦让语时特别要注意说话者和对方的身份,自谦语可以用于说话人自己的动作,但不能用于听话人的动作。特别是在服务行业,这类错误经常发生。

3、使用敬语的不平衡。使用敬语的时候要注意句子先后平衡,不能在句子开头使用了,后句却没有加上敬语成分。

关于敬语使用的高频错误大致是以上几点,在使用日语敬语时,不妨特别留意。

结束语:日语敬语的学习是学习日语,学习日语语言学的一门重要学科。学好日语敬语的使用对我们日后的工作、留学以及日常生活都有很大好处。 因此虽然其体系庞大,用法错综复杂,但只要有系统地学习,也是可以正确地把握的。

参考文献:

从敬语使用看日本人的语言行为特点普书贞

日语郑重语的使用方法总结

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日语语法之何时该用敬语

日语中常见的敬语误用分析

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日语学习心得

学习日语,对中国人来讲,其实是有优势的,且不说它里面有很多汉字,就说它的发音,好多都跟汉语也很像。这也是当时我选择它为二外的一个重要原因吧。现在一年学下来,由原来的一个门外汉,到现在的菜鸟级,应该说这其中还是有点滴感受的吧。

一、日语与汉语的比较

从语言学上来讲,日语和汉语都应该属于汉藏语系的,好多日语单词就是从汉语里来的,被语言学家称为sino-Japanese.两者应该有着很大的相似之处。日语中平假名和片假名甚至就是以汉字为基础创造的表音文字。如“ぁ”来自汉字的“安”的草体。但我觉得,事实上,要学好日语并不是一件容易的事,因为上面所述都是一些表层的东西。从深层次上来讲,两者有很大的不同之处。

我们学习语言的人都知道,grammar是一个语言的骨架,它从一定程度上决定着一个语言,但我们认为很相似的日汉语的文法根本不一样。最明显的一点就是日语的谓语动词往往放在句末,这是最特别的一点。比如说“我去学校”,在日语里面说成わたしは学校へ行きます,把“去”这个动词放在最后。其次,日语是以其格助词为关键的,如“に”、“を”等,每一个就有很多种用法。拿“を”来说吧,它就有表示对象的用法如本をよむ;还有表示起点的,如家を出る;还有表示在某一范围内移动的,如海を泳ぐ。而“に”的用法就更复杂了,这里就不赘述了。而汉语里则简单得多,没有这么多的格助词。另外,日语里有许多时态而这些时态是通过词形变化表现出来的,如て形,た形等等。但汉语里则没有这么多词形变化,只是通过加上些如“了”、“曾”、“过”等副词来表示。同时,我要说的是,日语中的这些形相当难记,而且很容易忘。但是如果掌握了规律,就很容易记了,而且可以举一反三。比如掌握了一个动词的て形,那它的其它形就可以迎刃而“记”了。比如待つ的て形为待って,由此可以推断出它的た形,就是待った。这是动1的词的用法,而动2的词就更加相似了,直接把最后的一个假名去掉加上一个て或一个た就可以了。而其它的形也可以采用类似的方法来记忆。当然,仅仅掌握了这些词形变化是远远不够的,必须把它们应用于一些句型

当中。仅以て形为例,它就有很多与之有关的用法或句型。如てくたさぃ表示礼貌地请求;てぃる有表达两个含义,一方面表示动作的进行,还有一种就表示状态的持续;てもぃぃです表示可以干某事了。

日语中有如此多的词形变化,而汉语中很少,那为什么一些西方人会觉得汉语比日语更难学呢?让我们来看看日语和英语的比较吧。

二、日语和英语的比较

我认为,和汉语相比,日语和英语的相似处更多,它们都属于形合的语种,注重形式;而汉语则属于意合,西方人对此很难理解。而且日语和英语都有很多相对应复杂的句型,时态,及与之相关的词型变化比如与て形相对应的英语时态就是现在时-ing形式,与た形相对应的则为过去时-ed形式,与なぃ形相对应的则是英语中的否定。而且,现在随着世界联系越来越紧密,日语中外来语增加的速度更是快得惊人,好多词汇都摒弃了原来的和语或汉语读法,采用了英语的发音,叫人背不胜背,这通常都要用片假名来表示。因此,好多日语词都可以用英语来发音,日本人不但不会嘲笑,反而认为你才是up to date.这样一来,西方人当然觉得日语更好学了。什么东西说不出来,仍然可以用英语来表示。但是,由于这些外来语都是用日

本的语音发音,因此跟英语单词有很大的出入,以至于我们读多了之后,许多英语单词都不会读了,比如我经常会把supermarket读成ス-パ-.マ-ケット这也就难怪日本人读英语的时候感觉怪怪的。当然,说两者相似,是基于和汉语比较的基础上的。虽然两者相似处很多,但是,总的来说,Culture determines language.不同的文化背景下所产生的语言肯定是有根本区别的,而语言正好可以反映出文化的不同。日本人宣扬的是一种“忍”的精神,以致整个民族都很内敛,表现得很谦恭,好像什么都唯唯诺诺,而欧洲人则不同,他们以自我为中心,应该是属于个人主义的那一类。表现在语言上很容易就看出来。日本人在说话的时候有时连ゎたし都可以省掉,而英语里面为了强调自己的意愿,经常说一些主观意愿的词,比如I think,In my opinion,I\'d like to say,你看,几乎每个里面都有 “我”。

三、口语和听力

口语,这是一个很重要的方面,因为语言最重要的一个功能就是communication,而交际最重要的就是要去说。如果学一门语言,但是口语不能掌握的话,等于只学了一半,这对日语来说尤为如此,因为日语的口语和我们学的书面语很不一样。我们看日剧的时候会发现日本人经常只用动词的普通体, 而不用敬体。还有一点很重要的,就是日语分男性用语和女性用语以及一些所谓的谦逊语,其实要说到谦虚,中国人应该是很擅长的,但是日本人的谦虚连我们中国人都受不了。比如说すみません,它是在日本使用频率很高的一个词,常常有一种深层次的含义,我想这是我们这些菜鸟所不能理解的,好像不管什么场合都可以用。而与口语联系密切的听力也是让我们头疼的地方,在听同学做speech或者听磁带的时候,听到某个单词很熟,但就是不知道是什么意思,一个单词要反应好长时间才知道是什么,有的时候甚至要写下来才知道。但这样一来,下面的内容就听不到了。另一点就是日语中有很多同音但不同义的词。如ひく这个音,我们现在学到的就有三种意思,一个是弹钢琴的弹(弹く),一个是得感冒的得(ひく),还有一个是查辞典的查(引く)。这样一来,听的时候觉得更困难了。我想这也多多少少和我们平时听得少有很大关系吧。但是,以后不管是考级还是考研,听力都是很重要的,所以今后一定要加强这方面的训练。

三、部分日语句型和英语汉语的对比

1、て形

てぃます正在做某事Be doing something てもぃぃです可以做„„You can do something てはぃけんません不能做„„You mustn\'t do something てくださぃ请您做„„Would you please do something „„て,„„干完„„之后紧接着就„„After doing sth,sb do sth

2、た形

たことがあります做过某事Somebody did something.たほうがいいです最好做某事You\'d better do something.たあとで,„„做完某事后再做Do something after doing something.たり„„たりします一边„„,一边„„Doing and doing

3、未然形

(よ)うと思います打算做某事Be going to do something しなぃ不做某事Don\'t do something

4、其它

と思います我认为I think は~より„です„比„更~ is more than~ になります变得„„,越来越„„More and more„

综上所述,日语和汉语、英语是有很多共性的,同时它也有很多特性。我们所要做的就是经常对这三者进行比较,比较之后才会有进步嘛。

推荐第9篇:日语商务礼仪论文

ビジネスにおける 上座・下座

社会の一員として生活をしていると、いろいろなシチュエーションで目上の方やお客様と過ごす機会があります。敬語や立ち振る舞いで相手に敬意を表すのはもちろんですが、その他にも応接室での座る位置や車での乗車位置によっても相手に敬意を表すことが出来ます。上座(かみざ)・下座(しもざ)という言葉は聞いたことがありますか?目上の人やお客様が座る席を上座、目下の人や接待する側が座る席を下座といいます。 上座の方がより安全で心地良い席です。応接室などの部屋の他にも、車、エレベーターにも上座・下座があります。

実は上座・下座はとても重要なマナーです。これを間違えたり、怠ると、お客様を大いに怒らせてしまうことにもなるのです。位置や順番に対する日本人の感覚は、実はたいへん敏感です。ここではビジネスマナーに欠かす事の出来ない席次のマナーについて、状況別に紹介しています。

1、会議室の上座と下座

会議室における席次の原則は、入り口から遠い席が議長席で最も上座となり、以下入り口に向かうにつれて最も下座となります。

また、来客とこちら側の人数が3人など同人数で座る場合は、それぞれの席の中央が最も上座となり、その次が出入り口から一番遠い席、一番出入り口に近い席が最も下座となります。 会議室席次の例

【コの字型の会議室 席次】

【中央の席が上座同士になる場合の席次】

2、列車・電車の上座と下座

上司や取引先の方と一緒に電車や列車に乗ることもあるでしょう。横並び煮の電車(通常の通勤電車)などの場合には上座や下座を意識する必要ありませんが、特急列車や新幹線のような縦に並んでいる席には上座と下座があります。

電車における上座は電車の向かっている方向(進行方向)を向く形で座る窓側の席が上座です。次いで、その通路側となります。席を向かい合って作るような場合には、進行方向と反対側を向かう方が下座となります。

また、乗る機会は少ないでしょうが、寝台列車の場合、二段ベッドの上が下座、下が上座になります。 列車・電車席次の例

【ボックス席 向かい合っている場合の席次】

【ボックス席 座席が進行方向を向いている場合の席次】

3、応接室の上座と下座

応接室における席次(上座と下座)についてですが、原則として出入り口から最も遠い席が最も上座となり、出入り口から最も近い位置が下座となります。基本的にはこれが大原則なのですが、いくつか例外がありますので、応接室の席次の例外を説明していきます。

(1):長ソフゔと一人掛けソフゔ 原則として長ソフゔの方が一人がけのソフゔよりも格上となります。出入り口から遠い位置に一人がけのソフゔがあり、出入り口から近い位置に長ソフゔがある場合の上座は長ソフゔの方が上座となります。 (2):置物・掛け軸・景色の良い窓

見事な置物や掛け軸、景観の良い窓がある応接室の場合、それらが良く見える席の方が上座となります。

なお、これらの例外についてですが、相手の勧め>例外>原則の順に優先されます。取引先に応接室に案内された際、上座に座るのを指示された(勧められた)場合は相手の勧めに素直に従います。勧めが無い場合は、例外>原則の順で下座を選びましょう。 応接室の例

【長椅子がある場合の席次】

【美しい眺望や装飾品などが楽しめる部屋の席次】

いろいろなシチュエーションで上座・下座という基本的マナーが必要となりますが、実際には様々なケースがあります。時には相手の気持ち・都合を考えて臨機応変な対応が必要となることもあるでしょう。基本的マナー・知識を身につけた上で、スマートな立ち振る舞いが出来れば社会人としてのステップゕップです。だから、基本マナーさえ身に着ければ、人間交際の際に必ず役立ちます!

推荐第10篇:日语论文(感谢词)

感謝の言葉

この論文については、最初、表題を選択して、資料を集めて、骨格を立てるから初稿の作成と最後の改定まで、三ヶ月ぐらいの努力を経過して、最終が本稿を作成したこととなり、諸先生方に深く感謝したいと思います。

この論文を作った時、郭先生から全力で援助をもらいました。指導先生として、郭先生はこの論文について構想、主題、言葉遣いなどにご指摘をいっぱい与えました。 先生のおかげで、卒業論文は順調にできました。ここに心から感謝の気持ちを表したいです。

翻訳学院において

氏 名: 2011年5月15日

第11篇:日语800字论文

日本茶道

日本的茶道起源于日本本土,但吸收了中国的茶文化,且具有日本民族味。它有自己的形成、发展过程和特有的内蕴。

日本茶道是在日本一种仪式化的、为客人奉茶之事。原称为“茶汤”。日本茶道和其他东亚茶仪式一样,都是一种以品茶为主而发展出来的特殊文化,但内容和形式则有别。茶道历史可以追溯到13世纪。最初是僧侣用茶来集中自己的思想,从谂禅师曾经以“吃茶去”来接引学人;后来才成为分享茶食的仪式。现在的日本茶道分为抹茶道与煎茶道两种,但茶道一词所指的是较早发展出来的抹茶道。

日本茶道分为四个时代:

(一)奈良、平安时代,这一时期的茶文化,是以嵯峨天皇、永忠、最澄、空海为主体,以弘仁年间(公元810-824)为中心而展开的,这一段时间构成了日本古代茶文化的黄金时代,学术界称之为“弘仁茶风”。

(二)镰仓、室町、安土、桃山时代,镰仓、室町、安土、桃山时期,日本吸收反刍中华茶文化,民族特色形成,日本茶道完成了草创。

(三)江户时代,江户时期,是日本茶道的灿烂辉煌时期,日本吸收、消化中国茶文化后终于形成了具有本民族特色的日本抹茶道、煎茶道。日本茶道源于中国茶道,但是发扬光大了中国茶道。

(四)现代时期。

现代的茶道,由主人准备茶与点心,还有水果招待客人,而主人与客人都按照固定的规矩与步骤行事。除了饮食之外,茶道

的精神还延伸到茶室内外的布置;品鉴茶室的书画布置、庭园的园艺及饮茶的陶器都是茶道的重点。

茶道有繁琐的规程,茶叶要碾得精细,茶具要擦得干净,主持人的动作要规范,既要有舞蹈般的节奏感和飘逸感,又要准确到位。茶道品茶很讲究场所,一般均在茶室中进行。接待宾客时,待客人入座后,由主持仪式的茶师按规定动作点炭火、煮开水、冲茶或抹茶,然后依次献给宾客。客人按规定须恭敬地双手接茶,先致谢,尔后三转茶碗,轻品、慢饮、奉还。点茶、煮茶、冲茶、献茶,是茶道仪式的主要部分,需要专门的技术和训练。饮茶完毕,按照习惯,客人要对各种茶具进行鉴赏,赞美一番。最后,客人向主人跪拜告别,主人热情相送。日本茶道是在“日常茶饭事”的基础上发展起来的,它将日常生活与宗教、哲学、伦理和美学联系起来,成为一门综合性的文化艺术活动。它不仅仅是物质享受,主要是通过茶会和学习茶礼来达到陶冶性情、培养人的审美观和道德观念的目的。

繁复而熟练的礼法是为了使人超然物外,浓如苦药的茶汤正如人生,别出心裁的插花显示有限的生命背后人类生生不息的生命力,棒喝的偈语告诉人处处是真理。日本茶道,是用一种仪式来向人讲述禅的思想,正如参禅需要顿悟一样,其中蕴涵的那些人生的经验,需要饮茶者用生命的一段时光来领悟。

09电气二班

周雪燕32号

第12篇:争先进位、班组先行论文

争先进位、班组先行

一个充满生机与活力的企业,一个在市场经济下不断提高生产效的企业,靠的是什么,靠的就是管理。电力企业是技术密集型企业,企业内部各专业关联性强,电力流程环环相扣,电力生产班组是电力企业生产中最小的职能单位,担负着电力企业生产的基本活动过程, 是企业各项工作的落脚点。因此班组的建设管理工作关系着企业经营战略的顺利实施,战略目标的顺利实现,在电力企业生产中起着基础性的作用,其管理水平、工作优劣直接影响着电力企业的整体状况。只有不断加强班组管理工作,才能建设一支思想好、作风正、能力强、业务精、敢打硬仗、无私奉献的高素质员工队伍,从而达到提高班组生产效率。企业高素质职工队伍从何而来——加强班组建设管理工作是提高员工素质、提高企业生产效能的有效途径之一。

我们共同担负起电力企业建设发展的重任。如何培养班组员工的敬业精神,激发他们的工作热情,使班组每一个人安安全全地来,安安全全地走,是我思考最多的几个问题。我的理解有以下几个方面:

一、建立班组建设的常态机制。首先要正确认识班组建设工作在企业管理中的位置。把抓班组建设作为企业一项重要的管理工作来看待,加强组织和领导,坚持不懈的开展下去。第二,要建立班组建设的考核、激励机制。应将班组建设工作的成效和质量,作为评价管理部门和基层单位年度工作业绩的重要指标,进行考核和奖励,如将各项考核指标落实到岗位和人,建立班组内部档案,对每个人的工作业绩进行详细建档,建立班组光荣榜,评选班组

每月生产能手、技术尖子、节能标兵,并进行物质奖励。第

三、要形成齐抓共管的机制。企业各管理部门不能简单的认为班组建设工作是主管部门的事,而淡化本部门在班组建设工作中的职责和任务,应找准自己的位置,全力配合和支持主管部门抓好班组建设工作。各二级单位作为班组的直接管理者,更要突出班组建设工作,只有形成齐抓共管,分级负责的机制,才能保证班组建设工作的成效。

二、突出班组建设工作的中心。一是要认清班组管理的性质。企业的经营管理逐步由粗放式管理向集约化管理转变,班组一方面要完成生产经营工作任务,另一方面要通过加强管理来完成各类经济、技术指标,因此,班组工作具有管理和执行的双重性。二是要突出班组建设工作的中心。提高经济效益是电力企业当前工作的中心,要提高经济效益,一方面是抓好企业的经营管理,更重要的一面是抓好基层班组的管理工作。所以班组的任务就是在完成生产经营任务的基础上,提高工作质量和降低消耗。因此,班组建设的中心任务就要围绕加强和提高班组的管理水平,指导和帮助班组解决工作中存在问题来开展工作。

三、配备好高素质的班组长 。 在班组的生产经营活动中,班组长要进行科学的管理、合理的分工,是名符其实的“兵头将尾”。同时班组长是全班组的直接组织者、指挥者和管理者,班组长这个岗位的特殊性在班组管理中起着举足轻重的作用。班组长自身的素质如何,将决定整个班组工作的成效。因此,班组管理要做到“三

公”(公开、公平、公正),班组长应当能实干又会管理,要有较强的管理意识,同时在生产实践中要不断提高自己的各项素质,不断提高,不断改进,在职工中树立起自己的威信,才能依靠大家的力量管好班组,才能充分调动和发挥班组成员的积极性、创造性。

四、加大业务技能培训力度。电力企业业务技能培训,首先对人员专业理论的高低,现场工作技能预以了解掌握。针对岗位特点和性质的不同分层次安排其岗位学习,从而做到有的放矢。提高全体职工业务技能,逐步使大部分职工能达到一人多能,一人多岗,以适应减人增效的需要。

( 1)培训工作应具有灵活性和多样化。由于在实际工作中存在着培训的单调性和枯燥性,部分职工不愿意钻研业务的不良风气较浓。因此应想方设法,将培训搞得多样化,生动活泼一些,除了传统的技术问答、技术讲课、反事故演习外,我们还应增加有奖问答,现场技能比武等多种培训形式。这样既增加大家的业务知识,又激发了大家学习的积极性;另外针对每次设备修试对职工现场技术讲解,讲述一些平时看不到的内部构造及工作原理等,以提高大家感性认识。(2)培训工作应具有长期性与持久性。由于培训工作不是一件一朝一夕就能完成的事情,因此作为技术培训工作,不能急于求成,一定要脚踏实地扎扎实实地做好每个培训环节,在长期的培训不断提高业务水平中,使得整个培训工作有条不紊循序渐进,让大家从技术培训中,真正掌握所学知识。

要把职工技术培训和思想政治教育列入每一年的工作计划,狠抓实施,稳步推进,不断提高职工队伍的综合素质。这是电力企业生产安全所在,也是电力企业生存和发展的希望所在。

五、深入开展班组对标工作。应将标杆管理的先进理念,运用到班组建设的实践中。在班组建设工作中,认真总结班组在班务管理、安全管理、作业控制、现场培训、技术创新等方面的实践经验;在企业班组中开展“树标杆、抓典型”活动,增强班组间的学习和交流,营造“比、学、赶、超”的良好氛围;在班组间进行典型经验的总结,提炼最佳实践,有针对性的改进管理工作,进行持续改进。通过企业班组间同专业和跨专业的对标实践,为企业提升管理水平注入活力。

七、抓好职工队伍建设。一是有效发挥每个职工的价值,让合适的人做合适的事,是提高执行力的重要途径。每个职工的性格都不是一样的,性格的不同决定着他们对事物的不同看法和不同的做法。我们可以根据职工不同的特性分配他们不同的工作,使他们在分配的工作上最大限度的提高他们工作的能动性。

总的说来,进入新形势下的班组建设作为我们企业一个发展和创新的重要基础,将越来越显示其重要性和必要性,我们应该通过不断学习,不断探索,不断创新将班组管理工作融入企业的生产、经营、文化建设等各项工作的管理中,让班组管理更贴近企业目标的实现,使班组真正成为职工群众展示自我业绩、自我风采的舞台,成为实现自我发展、自我成才的大家庭。

第13篇:优秀的日语论文

【摘 要】教育人性化就是让教育这个严肃的工作,在最大限度地开发人的智慧,尊重人的思想过程中,充满了人情味,让受教育者感受到独立的人格与爱的温馨,体验到责任的动力,享受到成功的喜悦。本文主要讲述在课堂中如何发挥学生的主动能动性,充分发挥学生的主体性作用,改变传统的教育模式。

【关键词】主动性;自学能力

教育的核心是人。传统的外语课堂教学,教师是新词汇、新知识的呈现者、传授者,而学生则是被动的接受者。这种课堂教学扼杀了学生做为人的主观能动性,教学效果甚微。新课程背景下的课堂教学特别突出学生作为人的地位,注重师生之间,学生之间的情感交流,强调学生在学习中的主体性,尊重学生的个性发展,使教学过程中的诸因素协调、平衡。这种和谐的人性化课堂教学将德育融入教学当中,把学生培养成为德智体美劳全面发展的人。

人性化课堂教学注重学生的情感态度与价值观。注重知识与技能、过程与方法、情感态度与价值观,作为新课程教学的完整性结构目标,是基础教育课程改革的一个创新性标志。日语论文范文其中“情感态度与价值观”是体验性目标,它对所采取实施的“过程与方法”,对于“知识与技能”为结果性目标的逐步整合与达成,起到极其重要的促进与优化作用。

中国科学院院士,著名数学家杨乐在给北航学生做“数学、创新、人才”学术报告中强调指出,有兴趣才愿学,才能主动学;愿学、主动学才能学好学会;你有了学好学会的体验,才能产生更大的兴趣。杨乐先生以其切身体会,深入浅出地说明了情感因素对认知能力和人格发展的重要作用。

语言学习中的情感因素包括学习者的个人因素(如动机、兴趣、性格、自尊、自信、克服困难的意识、焦虑程度、意志程度等)以及学习者与他人的情感因素(如移情、合作精神、对所学语言的态度等)。根据Krashen 的“情感过滤假设”,语言学习者一些消极的情感因素在学习过程中阻碍学习者消化、吸收输入信息,而积极的情感因素则有利于语言的学习。

我在日语教学中发现一些学生在日语学习中时常表现出一些消极的情感和态度,如缺乏学习动力,对日语学习缺乏兴趣,缺乏自信,过度焦虑,自我抑制,缺乏合作精神等,这对他们的日语学习起到了严重的阻碍作用。为消除学生学习日语的消极因素,我平时注重关心学生的学习和生活,多与他们交流思想,加大感情投入,使学生“亲其师,信其道”;课前我采用多种方式让学生身心放松,如音乐放松法、诗词放松法、心理想象放松法、游戏法等,使学生摆脱焦虑感,排除杂念,精力集中地进入课堂学习;在课堂教学中,我尽可能多的运用音乐、图片、电脑课件等多样手段,增强教学的直观性、形象性,吸引每一位同学,最大程度的激发他们的兴趣,开发每一位同学的潜能,同时在设计课堂活动时尽可能多地给他们展示才艺的机会,满足他们好动、好奇心强、争强好胜、好表现的心理需求。这种人性化课堂教学,让学生感到舒适,安全,具有归属感。

人性化课堂教学需要教师摒弃在课堂中的霸权地位,提倡学生自主学习。传统的课堂教学是师教生学,师讲生听,教师处于高高在上的领导地位,学生很少有机会表现个性。这种单向灌输式的课堂教学,既影响了教与学的效率,又易使学生产生厌学情绪。新课改倡导的“自主、合作、探究 ”的学习课堂,强调“以人为本”,教师不再视学生为容器,而是活生生的人;教师不再是教书先生,而是学生的引导者。

教学过程是师生互动的过程,学生的知识的获取不是被动的强行灌入,而是自主学习。即在教师指导下,学生自学自练,自得自悟、互动交流,自评自纠,通过自己的努力去学习知识、陶冶情操,培养能力,掌握方法,自主发展。我在多年的日语教学实践中体会到:这样人性化的课堂教学,能使学生充分张扬个性,全面和谐发展,自然形成终身发展的基础知识、基本技能和方法。人性化的课堂教学需要教师尊重学生个性的发展,让每一个学生都最大限度的发挥潜能。由于遗传素质、社会环境、家庭条件和生活经历不同,每个学生都会形成其独特的个性。学生之间存在的差异性决定着学生的需要具有层次性、多样性。新课程的学生观注重每一个学生个性都能得到健康地发展,这就要求教师在课堂教学中针对不同的学生个体,运用多样化的教学手段因材施教,为每一个学生提供施展才能的机会。美国教育家阿姆斯特朗认为,每一个学生都可以根据自己独特个性选择最优的学习方式,每位教师都可以根据此选择最优的教学方式。

哈佛大学 350年校庆时,有人问:学校最值得自豪的是什么?校长的回答是:哈佛大学最引以自豪的不是培养了 6 位总统、36 位诺贝尔奖金获得者,最重要的是给予每个学生以充分的选择机会和发展空间,让每一颗金子都闪闪发光。笔者在初中日语课堂教学中针对学生不同个体,给予学生选择、认同目标的自由,根据不同需求,在设计课堂活动,激活练习,布置作业等教学环节,注意引进分层教学的理念,让不同层次的同学都有施展才华的机会,让每一个同学都能有所得,收到了满意的效果,受到同学们的欢迎。人性化课堂教学需要创设和谐的教学环境。根据系统论的观点,教学过程作为一个系统,必定包含一些基本的要素,并与客观世界相关联。

在教学过程中,各种要素如果配合得当,达到一种和谐的状态,就会形成合力,促进教学过程的开展,提高教学效率和效果。教学过程的基本要素有教师、学生、教材、教法等。教学过程诸要素的和谐包括诸要素之间的和谐,诸要素自身的和谐,教学过程与教学环境的和谐;诸要素之间的和谐又包括教师与学生的和谐,教师与教材的和谐,教师与教法的和谐,学生与教材的和谐,学生与教法的和谐,教材与教法的和谐。日语论文笔者在这种和谐的人性化课堂教学中,努力使各要素互动整合,使学生个性得到充分张扬,品格得到健康发展,素质得到全面提高,在日语教学中体现了新课程育人观的美好愿景。

我在多年的日语教学实践中深刻体会到:人性化课堂教学优化了学习环境和学习过程,优化了学生的心理状态,融洽了师生关系,也对教师的教学态度、教学能力和综合素质提出了巨大挑战。教师只有热爱教学工作,热爱学生,不断更新教学理念,不断提高自身的教学能力和综合素质,不断提升自身的人格魅力,才能使学生在潜移默化中与教师产生共鸣,愉快地接受知识、情感和人格品质的教育,在科学的育人理念指导下健康成长。

【参考文献】

1.武磊《教育的人性化 人性化的教育》《新课程(教育学术)》2010 年 10 期

2.张晓晖《教书育人学术理论—提高师范生素质应建立科学化和人性化的教育模式》教书育人学术理论

第14篇:日语论文 就业难

中国の卒業生就職問題について

一、中国の卒業生就職の現状

据《2012年中国大学生就业报告》显示,在2011年毕业的大学生中,有近57万人处于失业状态,10多万人选择“啃老”;即使工作一年的人,对工作的满意率也只有47%.2012年,全国普通高校毕业生规模达到680万人,毕业人数再创新高,大学生将面临越来越沉重的就业压力。

现在,越来越多的大学毕业生找工作屡屡碰壁,“没有经验”成了他们被拒之门外的理由;更有不少大学生并非找不到工作,而是“高不成低不就”,放弃了手中的就业机会。种种原因,造就了一支庞大的“大学生失业军团”。

「2012年中国大学院雇用報告書」によると、2011年卒業予定の大学生の中には、約57万人が失業状態にして、10万人以上の人が「かじるのが古い」を选んだ。たとえ通期の仕事であっても人々は、仕事に対しての満足率は47%です。2012年には、全国の大学卒業生の人数は680万人に達する、卒業生の過去最高の数に達し、大学生は就職にますます重い就業圧力に直面するだろう。

今の卒業生は、仕事を探して時、ますます多くの大学卒業生が拒否されました。「経験がない」とは、彼らが拒否された理由となったん。そして、多くの大学生は仕事が見つからないからではなく、仕事への要求が高すぎての原因だから、雇用機会をあきらめた。さまざまな理由によって、巨大な「学生失業軍団」を作成しました。

二、中国の卒業生就職難の原因

首先,先说关于社会方面的原因。中国毕业生数量急剧增长,但就业岗位增长缓慢,其比例不平衡。另外,学校和社会脱节也是一个很重要的原因,大学里学到的实用的东西不多,并且大学的学习内容比较社会需求有较大差距。

另一方面,关于大学生自身的原因。一些大学生自身综合素质不高,缺乏广博的知识积累和解决实际问题的能力,并且语言表达能力不足,在应聘场合不能充分展示自己,从而错过了许多工作机会。另外,大学生在择业时,缺乏对自己的清晰定位,择业缺乏目的性也导致成功率不高。

私は中国の卒業生就職難の原因にとって、その理由は二つがあると思って、客観的な原因と主観的な原因です。

まず、客観的な原因について。客観的な原因いろいろがある、例えば、社会的な原因と学校な原因。中国の卒業生の数が急激に増加して、就業職位の成長が遅く、その比率がとても不均衡です。また、学校と社会の間がはずれも1つの重要な原因です。大学で学んだ実用的ではないものも多く、そして大学の勉強の内容が社会の需要は差が大きい。

一方で、主観的な原因に関して。主観的な原因は学生自身の理由です。いくつかの大学生自身の総合素質が良くないが、広い知識の蓄積を欠けて、実際の問題を解決する能力を欠けて、そして言語の表現能力不足を招いて、面接の場合で十分に自分を展示するできない、それによって多くの仕事のチャンスを逃した。また、大学生は仕事を選んで時、自分の位置付けがはっきりしないで、就職につながる成功率が高くない。

三、中国の卒業生就職難の対策

根据上述观点,针对解决就业问题的对策也有2个方面。社会与学校方面要进一步深化教育体制改革,坚持推进素质教育。首先,强化学生实践能力,增强毕业生素质和适应社会的能力。然后,要提高就业指导和服务水平,增强毕业生的择业技能。最后,加快完善毕业生就业市场建设,为毕业生就业提供更多的选择。还有,要积极引导毕业生转变就业观念,实现多渠道、多形式就业。

作为大学生要认识到自身的不足,不要放弃每个实践机会、增加自身实习经验。我建议新生一入学就应为自己定好职业目标,做好时间管理,提高学习效率,强化学习和训练有用的技能,多参加与专业有关的实践。另外,找工作时树立一个合理的目标,摆正心态也很重要。

大学生应该及早地规划自己的职业、技能、学习目标,也可以考虑去国外工作。

上記のような見方によれば、就職問題を解決するための対策も2つの側面がある。 社会と学校側はさらに、教育体制の改革を深化させて、素質の教育を堅持して進める。まず、学生の実践的な能力と社会に適応する能力を強化する。、そして、就職指導とサービスレベルを高めて、卒業生の職業選択技能を強める。最後に、完璧な卒業生の就職市場の建設を加速し、卒業生のために、多くの仕事の選択肢を提供する。また、積極的に卒業生の就職観念転換を導く。多ルートで、多形式で就職を実現する。

大学生として、自分の不足を認識すして、すべての実踐の機会をあきらめないで、自身の実習の経験を増やし。それと、早めに自分の職業目標を決めて、ちゃんと時間を管理して、学習の効率を高めて、そして、有用な技能を勉強して。また、仕事を探す前、1つの合理的な目標を確立し、良い精神状態を保つことも大事。

四、中国の卒業生就職難の見方

相信通过大学生以及全社会的共同努力,大学生就业难的问题一定能够妥善解决,高校毕业生一定实现充分就业。

私は信じている、学生だけでなく、社会全体の共同の努力を通じて、大学生の就職難の問題はきっと適切に対処することができるようになります。卒業生はきっと十分に就業ことを実現できます。

第15篇:《日语论文写作》评分标准

《日语论文写作》评分标准

满分100分

开题报告格式请参照教材P70-7

3、要求写出论文的章节构成

一、论文的题目(10分)

二、开题报告的主要内容(40分)

(1)研究的目的和意义(10分)

(2)文献综述和理论空间

基本论点和研究方法(共20分)

(3)资料收集方法和工作步骤(10分)

三、论文的章节构成(30分)

四、文字清晰,正确无误(20分)

字数要求1000字

日语明朝体和汉语宋体均要求小4号字

第16篇:《日语论文写作》教学大纲

《日语论文写作》教学大纲

适用四年制本科日语专业

(参考时数:48学时)

一、课程的性质、任务

日语论文写作是日语专业学生的必修课程,也是检验学生的语言运用能力的综合性课程。通过本课程的学习使学生养成用日语思考的习惯,明确论文的写作格式,提高写作水平。

二、本课程的基本要求

通过本课程的学习,要求学生掌握以下内容:

1.认识日语词语的正确发音。

2.对照日语语法、词法能够理解。

3.学会日语的表记法,即平假名、片假名、汉字、标点符号的正确使用。

4.能读解所写的文章句义。

5.将自己的思维进行符合逻辑的整理。

6.语句表义清楚、结构严密、逻辑性强。

三、课程内容

1.学习论文的范文

2.模仿范文写作

3.修改训练

四、学时分配

序号教学内容讲授学时实践

1.学习范文16

2.模仿写作88

3.修改训练88

五、课程实践内容及基本要求

实践一 模仿写作(8学时)

模仿范文归纳段落提纲。学会论文固定的结构模式,记住固定词语的表达。 实践二 修改训练(8学时)

找出文中词语的表现错误。

内容的论旨是否贯穿全文,题目与内容的一致性,作者的意图能否传达给读者。 叙述中有无不明确的、冗长的句子。接续词是否用得恰当。主述对应,词语的活用及助词的错误。

文体是否统一。

六、推荐教材、参考书

王军彦编著.新编日语写作.上海:上海外语教育出版社,1994

七、大纲使用说明

1.论文写作指导的方法很多,可根据学生当时具体的水平而因势利导,不拘泥于一种形式。

2.范文可多种形式。

3.本课程评分:理论课成绩占:70﹪,训练课成绩占30﹪。

第17篇:日语论文写作注意事项

日语论文写作注意事项

一、在「始めに」提出观点,或引言。

二、在「本文」提出自己的观点,并分别用相应的证据(书籍、文章的观点,通用的观点,事实或数据,真理、公式、法律等。最好是日语原版的书籍)来证明自己的观点。

三、一般采用“三段论”的方法来论述,也就是:

1、提出观点,

2、列举证据,

3、用证据证明观点或论点。

四、忌讳全是自己的观点,忌讳全部是自己写作的句子(一本参考书目也没有)。同样,也要忌讳全部或主要内容是引用别人的观点。

注意:

一、对不清楚或没把握的词或表达法一定要查辞典,尤其不能将中文词汇套用到日语中去。

二、句型也要用日语式表达,不清楚的,可查询相关书籍或问同学、老师。

作文的问题:

一、完全是自己的语言(自己编、写的语言)。

二、全部或主要内容引用别人的作品。

建议:

一、确定题目后,一定要查询、阅读数本牙关内容的书籍(我们建议最少阅读5篇以上的相关内容日语文章)。然后拟出提纲,列出证据,找到相应的地道表达。并在阅读过程中不断修正自己的观点。

二、内容只能是语言(语言学、语法学、词汇学、文字、行为语言、肢体语言)、文学(流派、文学欣赏)、翻译(翻译理论、翻译实践)、文化(日本人的心理习惯、行为习惯及相应的中日对比等)方面。之所以如此要求,是因为

一、以上内容是我们所学专业,其他的,不是我们专业学习或训练的领域,不大可能写出好的文章,更谈不上写出深邃的作品;

二、写其他方面的内容,我们老师也不懂,没办法评审;

三、你的论文即使很优秀,也不能以外语学院的名义上报(属于其他学科)。

三、采用三段论的方法。

1、提出观点,

2、列举证据,

3、证明观点。

四、要用地道的表达法:

1、不要将中文词汇直接套用到日语中,只要稍有不确定或怀疑,一定要查辞典确认。

2、对辞典中的表达,要仔细考虑此情此景下的意义。

3、句子结构要符合日语的表达(语法规则)。

4、写作完毕后,逐字逐句地读,看是否有问题,稍有不妥,查证(查辞典、问同学,或问老师)。

5、注释:「楽しい」と答えた人が70パーセントを超えたという1。

6、常用句型:・・・・ということがわかった。・・・・ということが明らかになった。・・・といえるだろう。・・・とっても過言ではないだろう。 1 「日本の留学生活」P235による。

第18篇:论雪国(日语论文)

[论文]『雪国』の美の再検討 はじめに

『雪国』は昭和10年1月から『文芸春秋』、『改造』その他の諸誌に断続発表され、同22年10月『小説新潮』の稿で完結した。

これまでは『雪国』関係の研究論文は数多く発表され、今その美しさを再検討するのは余計なものではないかと多くの人はそう思うかもしれない。けれども、文章を論ずる角度は様々なのであるから、その角度を変えて『雪国』の美しさをもう一度論ずると、また多くの新しいものを発見できると確信する 故、本文を書くことにした。

一.

前述したように、これまでの評論は主に以下の幾つかの面をめぐって展開されたものである。本文の論述を展開する前に、まずそれらの諸観点を簡単に列挙しておこう。 1.1構造の美=『源氏物語』形式

『雪国』は長い間隔をおいて、一章、一章、半独立短編といった形式で......とは当然『雪国』の構成にも関係があるわけである。......それは一見ばらばらになって、一つのしっかりとした整体になりそうにもないが、実は一種の美の表現である。ここで、ひとまず映画を例にして説明しておこう。......その物語をよく理解できる。というように、細かいものを現さないことによって、見る人に想像の余地を与えるからこそ、映画は一層魅力的になりえる。と同様、『雪国』もそういう仕組みである。 1.2新感覚派的な表現技法の美

新感覚派の代表作家である川端康成は文学の技法や表現の革命をめざし、実際の感覚を重んじる。『雪国』の中に、こういう新感覚派的な美文が多くある。例えば、......その底の部分は勿論大地である。?トンネルを抜ける?までは、雪がないから、?夜の底?は黒いものであるとは言うまでもない。?トンネルを抜ける?と雪国に入るから、何もかもすべてのものが雪に覆われているため、?夜の底?も?白くなった?わけである。これは主観的な感覚からの描写だということは極明瞭だ。所謂?新感覚派?的な表現技法である。文章の中に、こういう例はまた数多くある。このような描写の美しさは他に類を見ない。 1.3文体の美=詩的文体

『雪国』には、詩的文体の典型を見ることができる。雪の精を感じさせるような駒子(こまこ)や葉子(ようこ)の描出、朧化法(ろうかほう)による肉感的膨らみなどについては、もう多く言葉を費やす必要もあるまい。

これまでの批評などで挙げられる『雪国』の美しさはまた多くあるが、ここで、一々列挙する必要はない。これらの論述は確かに素晴らしいけれども、.....これは、一見あまりにも大袈裟な言い方だと思う人はかなり多いかもしれないが、とにかくそれらの疑問や不信を側において、論述を進めていかせよう。

では、如何にして初めて、川端的な美の世界を発見できるか。

まず、川端の美意識、とくに『雪国』を書いた時の美意識を究明することである。つまり、川端は一体どんなものを真の美しいものとするかという問題である。それは正しいか否かは別として、それをよく理解する上で、川端の感じた美を感じ取り得、『雪国』の真の美世界を見出せる。

次に、『雪国』の美世界に溶け込むことである。川端の美意識を理解する段階に止まってはいけない。理解はただの前提である。自分を『雪国』の美世界に委ねていながら、『雪国』を読んではじめて、その美の極意が分かり得ると思う。 では、川端の美意識を究明することに目指して、論述を進めよう。

二.

川端は二才の時父を失い、三才の時母を失って孤児となった。その後母の実家に移り、祖父母と一緒に住んだ。......となった。『葬式の名人』には葬式の名人と呼ばれるほど葬式慣れしてしまった青年期の川端の姿が描き出されている。川端は莫大な苦痛に陥った。が、その時仏教の諸思想が川端の救いとなった。たとえば、?輪廻転生(りんねてんせい)?、......日本は戦中戦後の未曾有の動乱期に入った。川端は虚無の埒外(らちがい)に芸術という絶対的価値を発見した。彼は迷いなく芸術至上主義者に変身して、絶対的な存在としての芸術の永遠性を確信した。永遠に生命を失うことのない美世界に身を委ねることで、自身の芸術も永遠であることを希求したのである。

では、川端は『雪国』において、どのように自分の美世界を展開したのか。ここで、一緒に分析しておこう。

三.

3.1『雪国』の美の構造=無償の美

今述べたように、『雪国』を書いたときの日本社会は混乱期に入り、川端自身も虚無主義に陥った。人間の生命、文学の営為など、一切のものは?徒労?になると氏は思った。......一口に言えば、『雪国』の美は現世放棄の土台の上に得られる無償の美である。 それを『雪国』の中の人間像と組み合わせて、論じてみよう。 3.2駒子と葉子

駒子は病気になった許婚者の療養費を作るために芸者になったが、親譲りの財産で無為徒食していた島村を愛していた。?島村のなにも駒子には通じていそうにない?にもかかわらず、駒子は依然として、ひたずらに島村を愛していた。駒子は島村にとっては逃避世界である雪国での、......れ、無償の美を感じさせた女性像である。

葉子も狂気を予感させるようなひたむきな生き方をしていた。その許婚者を最後まで愛し続けた?悲しいほど美しい声?を持つ存在である。そこにも、一種の無償の美が窺われ得る。 3.3島村の形象

『雪国』では、駒子も葉子も島村という奇妙な人物によってはじめて、息を吹き与えられており、我々は島村を通さずには決して彼女たちを見ることはできない。島村は東京という現実世界から離れて、雪国へ来た。それはある種の逃避であるとも言えよう。彼は現実から逃避した雪国でこそ、......むしろ川端の現世放棄と無償の美などの理念の代理像という性格を持たせられていることである。島村を?意識してなるべく自分と離して書いた。?と氏もこう言った。

とにかく、『雪国』では人間の一切の営為をむなしいものとし、世間のあらゆる功利性を退けてはじめて得られる無償の美を真の美とする。この美は最も貴重なものであり、他のものはすべて空しいものである。『雪国』では、許婚者、葉子など何人かが死んだけれども、川端は漠然とそれを書いた。『雪国』の美世界を描き出すことに比べて、そうした人間の生死は言葉を費やすことに及ばない。

終わりに

前述したように、『雪国』の美を検討する際、ただ内容や技法などの表面的なものから論じていくのは物足りない。川端の美意識を究明し、『雪国』の美世界に身を委ねて初めて、......そのようにして始めて作者との心の交流ができ、作品の真の美を発見し得るわけである。これが本文を書いた初心である。

参考書目:

①、『雪国』 (川端康成) 尚 永清 訳 商務印書館 1997年 ②、『日本文学鑑賞辞典』 吉田 精一 編 東京堂出版

③、『川端康成』日本文学研究資料刊行会編 有精堂 昭和55年

④、『川端康成の人間と芸術』 川端文学研究会編著 教育出版センター 昭和49年

付 言:

時間の不足、資料の不足はこの論文がもっとうまく行かない原因として、私を悩ませていたが、特に本論の(一)の総説の部分は事例が足りない気がして残念です。

本論文作成中、ご多忙中にもかかわらず、登坂勉、紀久子先生から貴重なご指導を頂きまして、ここで心から感謝を申し上げます。

第19篇:超有用日语论文题目

日语论文题目大全 (2013-03-15 01:08:10)转载▼

日本语と中国语の同じ言叶で违う意味の単语 源氏物语と红楼梦 贵族社会の相违点

夏目漱石(日本人の作家なら谁でもいい)のある作品から日本人の考え方 日本の少子化问题と中国の一人っ子政策 民主党と中国政策の展望 受験制度の比较

非行化生徒の実态と対策

日本の文化を通しての日本人のものの考え方 ごみ问题 中国と日本の比较とこれからの展望 日本の若者の考え方 日本の若者の言叶

食品问题から両国间のあり方

中国、日本の交流の歴史(ある人物、事件を通して)

20までいきませんが、日本人、日本の文化はいろいろありますので、ことばの说明に関する考察~国语辞典を资料として~ 强调を表す语についての研究 「喜び」の表现に関する考察 味の表现に関する考察

ものの名前とその名づけに関する考察 现代语における「全然」の用法 女性の文末形式に関する研究

同意を求める「~だろう」の使用~日本语母语话者と日本语学习者の比较~ 日本语会话教科书におけるあいづちの表现 日本语教科书における终助词の扱い 谢罪の表现とその使用意识に関する考察 若者ことばの特徴

オノマトペと动词の共起性に関する调査 回避ストラテジーに関する考察

现代日本语における自称词、他称词の使用に関する研究 原因、理由を表す「から」「ので」に関する一考察 终助词「ね」の意味机能

「必ず」と「きっと」の意味分析 受动文の使用と意识に関する一考察 前置き表现に関する一考察 日语自动词在表达中的作用 从受授动词看日本人的人际关系 中日委婉表达的差异

从日语中的待遇表现看日本人的语言观念 从年轻人用语看日本青年人的价值观 从近年来流行语的发展看当今日本社会 对日本人姓名的考察 对日本地名的考察 日本的雨和风与日本人的季节感 日本语言中的美意识考察 中日家庭成员之间称呼的比较 中日青年就职观念的差异 日本的少子化问题考察 日本女性就业状况的变化

从日本人的饮食生活看欧美文化的影响 对日本社会中欺凌现象的考察 对日本浴室文化的考察 自杀与日本的岛国文化

从“花”看中日美意识的差异 日本人生活里的“和”意识 成语翻译技巧研究 中日口译中的语境研究

论中日互译中母语对译文的影响

文学翻译中人物形象与语境的依存关系 中文歇后语与顺口溜的日译研究 关于日语拟声、拟态词的汉语翻译

关联翻译理论在文学翻译(或口译)中的应用 中日谚语对比与翻译研究 议中日谚语的互译技巧

论中日商标翻译互译技巧研究 中日商

业广告用语、广告词的互译技巧研究 论翻译中信、达、雅的关系 论翻译中的直译与意译

论中日翻译中的语义对等问题 中日口译中的语境的处理技巧

中文(或中日)新词、流行词日译(或互译)研究 “まで” 和“までに”の応用の分析 “ないで” 和“なくて”の応用の分析 “たら” “ば”“と” “なら”の応用の分析 “にとって” 和“にたいして”の応用の分析 苏州シルク输出品の実态の分析 无锡の陶器输出品の実态の分析

常州のトランクス输出品の実态の分析 南京の服装输出品の実态の分析 南通蒲団输出品の実态の分析

翻訳の质と言叶遣いの関系について分析 走れメロスの天気について描写の私见 伊豆の踊子の人物の心理描写について

日本の自然主义文学の特徴についてー?破戒?などから) ?伊豆の踊子?と?舞姫?の人物运命の比较 大江健三郎の作品の特徴について 川端康成の作品の特徴について メロスの信念の强さから考えたこと 日本语翻訳方法と理论の検讨 “信达雅”翻译理论の応用

翻译の质と历史资料の関系について.doc 村上春树小说中的女性解读——以青春三部曲为例

论村上春树小说中的寻找意识——以《寻羊冒险记》为例 论宫崎骏动画中“飞行器”之意象

芥川龙之介与其周围的女性——关于芥川之死 从《地狱变》看芥川的艺术观

论芥川龙之介中国题材作品群的思想倾向 论芥川早期文学中“火”之意象 芥川龙之介与《聊斋志异》

从芥川的《鼻子》看日本人的羞辱观 论日本战后“社会派”文学的“政治性” 论川端康成文学中“镜”之意象

从川端康成的《雪国》看日本传统美学意识 川端康成《雪国》三种中译本评析 汉语“被”字句及其日译研究

中日指示词的比较研究

日语高年级学生「ている」误用研究 文脉指示中“その”的汉译

日语“夕”和汉语“了”的对照研究

从电影译名看外来文化对中日两国语言的影响

关于日语流行语的研究

关于日语惯用句(从结构或语义分析角度) 关于日语惯用句(从中日文化对比角度) 关于日语惯用句(从中日惯用句比较角度) 关于日语惯用句(从翻译角度)

关于含有某一特定汉字的日语惯用句(从结构或语义分析的角度) 关于含有某一特定汉字的日语惯用句(从中日惯用句比较角度) 关于含有某一特定汉字的日语惯用句(从翻译角度) 关于日语成语(从中日比较的角度) 关于日语成语(从语义和结构分析角度) 关于日语成语(从翻译的角度) 关于日语谚语(从文化的角度) 关于日语谚语(从翻译角度) 关于

日语新闻翻译 关于日语程度副词 关于日语陈述副词 关于日语敬语

关于日本人的表现心理 关于日语的特质 关于中日交流中的跨文化交际 关于石川达三及其作品 日汉指示代词对比研究 关于「ようだ」「そうだ」「らしい」的比较 有关“こと”和“の”的分析比较

关于身体词汇惯用句的日汉对比

对日语中的请求表达的考察 关于自动词与他动词的研究

关于补助要素“てある”和ている的考察

汉日成语谚语 对比研究

汉日拟声词拟态词的对比研究

有关 授受表现日中对照研究 日语中汉字的读法

汉日被动句型对比研究 日中敬语表达对比研究

从日语外来词的变迁看日本社会

格助词“に”的意义用法及其它 关于日语中的女性用语 赏樱花和日本人的自然观 关于中日老龄化问题 日本企业文化和宗教信仰

中国和日本的食文化在语言中的表现 中国文化对日本茶文化的影响 日本女性婚姻观的变迁

形成日本少子化的主客观成因 探索日本动漫对世界的影响

论日本文化中开放性与主体性特征 关于日本文学中的美意识 日本文学中的唯美主义 日本和歌文学

芥川龙之介小说研究 无常观与日本文学

从芥川的“鼻子”透析芥川的人生观 从日语的暧昧表现探讨日本人的性格 日语自动词的意义分析 汉日成语谚语对比研究 日语惯用句

论日语的呼应表达 日语敬语研究

日语拟声拟态词研究 日语授受表现研究

日语教学中文化导入问题研究 中日惯用句表现之比较研究 日本语の敬语误用と敬语意识 关于日语头部身体词汇惯用句 日语敬语的现状与将来 中日同形词的对照研究

从敬语表达看日本人的敬语意识 汉日敬语的比较分析

论《细雪》中妙子的自由追求 .日中敬语表达对比研究 日本人的死生观 中日敬语对译研究

“とても”与“很”的比较研究 从“虫がいい”看日本人的语言技巧 日语动物谚语及其汉语译文的对比研究 日本语における拟态语拟声语について 日本语に入った外来语について 日本语の「しゃれ」について 日本语の「なぞなぞ」について 日本语の国字(和字)について 日本语における隠语について 现代日本语の中における江戸言叶 日本人の略语の作り方 五七调と七五调の诗学

「小呗」と「どどいつ」の音乐性 枕词はなぜ五文字なのか? 和歌に及ぼした中国汉诗の影响 松尾芭蕉に与えた汉诗の影响 日本人の汉诗 汉俳について 「於母影」、「海潮音」、「月下の一群」における翻译态度比较论 夏目漱石と正冈子规の往复书简 日本人の书简の文体と作法 日本人が咏じる植物倾 向

日本人の苗字について

子供の命名に见られる日本人の特性 流行歌流行语に见られる日本人の心性 日本的隠者と中国的隠者 日本の庭园と中国の园林

日本人の世间体(体面)と中国人の面子 日本人と中国人のマナー感觉 日本の幽灵と中国の鬼について 日本の妖怪変化について 日本の山贼と海贼について

星の民间传承における中国人日本人の宇宙观比较论 道教が日本の民俗生活习惯に及ぼした影响について 古代中国音乐が雅乐に及ぼした影响について 绘巻物に见られる日本人の庶民生活について 江戸时代の锁国の功罪について 江戸时代の教育について 日本の驿辨について

日本人の遵法意识(ルール遵守感觉) 日本人のペットの饲い方について 日本人の笑い

古代日本人の恋爱と结婚 日本人の地狱观と极乐观 日本文化における「间(ま)」について 现代日本人の服饰に见られる色彩倾向 现代日本人の「粹」と「野暮」 日本的风狂の精神とは何か おたくとマニゕ 「萌え」とは何か 虚无僧と山伏について 「山窝」について 「心中」について

「じゃんけん」の地域性について 日本人はなぜ水に流したがるのか?

日本人はなぜ空气を读むことを气にするのか? なぜ宦官は日本に入ってこなかったのか? 车内放送における日本人の世话意识

车内で平然と化妆をする日本人女性の感觉

新闻杂志の讽刺漫画に见られる日本人の政治社会性 みそみりんしょうゆにおける日本食文化の特徴 日本におけるゴミの分别とリサ゗クル なぜ日本卓球は中国卓球に胜てないのか? 中日同形语の比较/中日同形词的比较

中日両国语助数词の异同/中日两国量词使用的差异 日常挨拶の中日比较/日常寒暄语的中日比较 拟音拟态语の中日対照/拟声拟态词的中日比较

日中同形语「的」についての比较/关于中日同形汉字“的”的对比 中国语と日本语における外来语の比较/汉语和日语中的外来语比较 中日両国语人称代名词の比较分析/中日两国人称代词比较分析 自然に関する中日惯用句の比较/中日自然惯用语的比较 日本语における婉曲表现/浅析日语中的委婉表达

日本语における感情表现用语の特质について/日语情感表达用语特点的分析 日本语における条件表现/浅析日语中的条件表现

日本语における思いやり表现/关于日语中的体贴式表达

日本语における「雨」の表现について/浅析日语中与“雨”相关的表达 日本语における「汉字语汇」意味の変迁/浅析日语中汉字词汇含义的变迁 日本语における男 女の言叶遣いの区别/日语中男女用语的差别

日本语の惯用句の文法的特徴について/浅析日语惯用句的语法特征 日本语における外来语の発展について/试论日语中外来语的发展 日本语の女性语の特徴分析/日语中女性用语的特征分析 暧昧语の表现から见る日本语の特性/从暧昧语看日语的特点 日本语における第二人称の表现/浅析日语中第二人称的表现方式 从语言表达看日本人的心理特征 日语的模糊现象究因

试谈日语的暧昧表达与语境的依存关系 谈日语口语中几个常见的暧昧表现 日语的间接语言行为

浅谈日语的“受身形”表达方式 关于格助词:“に”和“と” 关于终助词“ね” 关于“は”和“が” 关于“だろう”

关于日语中的否定表达 论日语中的人称代词 论中日第一人称代词 汉日第二人称对比研究 主语省略现象的日汉对照

以《刺青》为例看谷崎润一郎的美意识 谈谷崎润一郎作品中的女性形象 略论耽美主义作家的美学观

非母语环境下暧昧表达习得之实证分析 非母语环境下も的习得情况之实证分析 非母语环境下た的习得情况之实证分析 非母语环境下ている的习得情况之实证分析 非母语环境下まで的习得情况之实证分析 非母语环境下に的习得情况之实证分析 非母语环境下で的习得情况之实证分析 非母语环境下ばかり的习得情况之实证分析 非母语环境下が的习得情况之实证分析

非母语环境下ハシル与カケル的习得情况之实证分析

非母语环境下モドル与カエル及ヒキカエス的习得情况之实证分析 非母语环境下トオル、トオス、ツウジル的习得情况之实证分析 夏目漱石作品中的女性形象 ——以《我是猫》和《明暗》为例 谈川端康成作品中的女性形象 日语交际用语中的暧昧表现 中日礼貌语言对比研究 论日语中的人称代词

初探日语拟声拟态词的特征

从文化的视点看日语中的省略表达 浅论日语中的委婉表达 试论日本语中的敬语误用和敬语意识 汉日成语谚语对比研究 日语敬语的现状与将来 日语被动态的汉译及其问题

论日语高级视听课之日本电影及电视剧欣赏课 论“气”字惯用词组的语义特征和建构 中国人日语学习中的误用分析 议日语汉字和日本文化的关系 中日被动句的对比研究

关于日本语中的否定表达的探讨 日本姓名的文化内涵

从外来词的吸收看日本社会和文化 关于日语中的女性用语 关于日语流行语的研究

通过“寒暄”观察日本的文化特点 日本食の中国语表记について 日本企业の中国名について 中日の同形异义语について 中日の鱼の名前の违いについて 中国

の省略语、日本の省略语 汉字使用圏の比较

日本の常用汉字の追加について 日本から中国に来た汉字について 中国と日本の色の゗メージ 中国と日本の食文化の违い 日本と中国のタブーの违い 日本の平均寿命の高さを考える 日本の晩婚化、少子化を考える

日本の社会保障制度 -特に年金制度を中心に- 日本のオーバードクター问题 日本人の宗教観

日本の外来语について

カタカナ表记はすべて外国のものか 奈良平安期の日本人留学生について 前四史における日本の记事について 宪法十七条と中国の史书

古代日本人の好きな花 -万叶集と古今和歌集の歌から- 织田信长、豊臣秀吉、徳川家康の比较 孙文の盟友 梅屋庄吉について

「大地の子」に见る残留日本人孤児の研究 2009年の政変について -自民党政治の终焉- 日本の终身雇用の崩壊と派遣制度

日本の农业について -特に自给率の低さを中心に- 阪神淡路大震灾とその复兴について 日本の昔话と中国の昔话

「源氏物语」から见た平安贵族の生活 「枕草子」から见た平安时代の女性の生活 鲁迅の留学について

日本の葬式を考える -映画「おくりびと」から- 宫崎骏のゕニメに见る日本人と环境

日本の国技相扑における外国人の进出について 少林寺拳法について 日本の地震対策について

日本の温泉について -地域分布とその成分- 日本人の中国语学习者について 日资企业里的跨文化交际研究 日语报纸新闻标题的关联理论解释 中日合资A&D公司的跨文化冲突

日本在华独资企业的文化研究

日汉语言表达方式差异及跨文化交际

日本人的内外意识与集团意识

关于我国企业导入日本企业文化的几点思考

日本企业文化的特色及其启示 日本在华企业人力资源管理研究

关于在华日资企业“日本式经营”的文化分析 日本在华企业雇佣制度的文化分析

在华日资企业内部沟通研究 日本式人事管理给我们的启示

第八代雅阁在中国市场的SWOT分析

代雅阁:喧嚣背后——解读广州本田的营销战略 日本三大汽车制造商的中国市场营销战略 丰田——了解顾客做新车(市场调研) 独具特色的丰田营销管理

日式管理的精髓——“持续改进”

在华中小日企“本土化”过程中的问题与对策——以长三角地区为例

日资企业中高层管理人员本土化滞后因素研究

依靠品质管理创造顾客价值——日本朝日啤酒公司个案分析

日本强势汽车品牌的形象传播

丰田生产方式在吉汽公司的应用研究 日本汽车新产品开发策略分析

一汽丰田汽车销售有限公 司渠道策略研究

丰田“威驰”营销策略研究

大连中升雷克萨斯汽车销售4S店服务营销战略研究 古今和歌集的恋歌 古今和歌集的四季歌 日本茶道及其文化内涵 日本国民性的特征

从和歌看日本人的审美观表现 禅与茶道 日本的武士道

浅论古今和歌集的恋歌与闺怨诗 论《细雪》中妙子的自由追求 对日语中的请求表达的语用考察 日本人的死生观 中日敬语对译研究

从谚语来看日本人的传统家庭文化 日语敬语的现状与将来 日语被动句的考察

日语动漫语言特色之浅见 日语新词汉译译法类型探讨 汉语新词日译译法类型探讨 日语二重表记新发展初探 中日网络语言差异研究

文字以外的语言方式探索1(图形语言) 文字以外的语言方式探索2(肢体语言) 文字以外的语言方式探索3(符号语言) 文字以外的语言方式探索4(声音语言) 文字以外的语言方式探索5(视觉语言) 文字以外的语言方式探索6(信号语言) 格助词「を」非宾语用法研究 日本人取名新动向特点探索 中日贸易前景分析方法探讨

日本公司及店家晨会作法的几种类型 中日大学毕业生求职程序差异

中日公司内部处理上下级关系的不同 日语能力测试对实际语言应用的作用探讨

学校的日语学习与工作的日语需要结合情况之我见 男生与女生在外语学习上的差异与原因探索 日本传统与现代的统一与和谐 日本语学习动机

日本人好きな言叶と日本文化 日本人の好き嫌いについて

日本の学校教育における问题(いじめ、不登校など) 日本の小学校英语教育と中国小学校英语教育の比较 ゕルバ゗トについて中日大学生の比较 死に対する日本人の意识 日本の子どもの自立性 中日の年金制度の违う

就职にあって日中意识の违う 日本语の暧昧表现について 日本の食文化の特徴

『ノルウェの森』から见る村上春树の文化特徴 和制英语について 花见と日本人自然観 日本の温泉について 日本の名字について 日本の祭りの文化

日本语の受身と中国语の受け身 日本语を教える时に日本文化の导入 日语和汉语的相互影响 日语学习动机

日语词汇どうも的词义分析及其应用 关于日语汉字的研究

关于现代日语中[ものの]与「ものを」的用法考察 从外来词的吸收看日本社会和文化 日语学习策略调查研究

对在日语句子主部中的助词「は」和「が」的认识 关于日语头部身体词汇惯用句 论网络对日语学习的影响 关于中日同形词差异的研究 关于的「の」用法

关于现代日语中的推量表达 关于日语中第一人称的省略表达 日语被动句的考察 论から与ので的异同 关于日语 中的女性用语

关于日本现代流行语

论中日人称代词使用的异同 日语论文一览表

氏名 論文テーマ 指導教官

日本古代文体形態研究

映画『羅生門』の鑑賞

日本の流行語の翻訳について

日本家庭教育の現状と対策

女の人生と芸能――高田女の生活実態を中心について

戦国時代の大名の奥様――NHK大河ドラマ『利家とまつ』を中心に

川端康成の作品における虚無感

日本型生産方式の特例――トヨタから見る日本式生産方式の真髄

現代日本語における外来語受容の様相

日本における児童虐待の問題について

日本の家紋からみる家族意識

日本語教育における模倣を見る 禁忌に秘められる日本人の考え方を探る

諺に見る日本人の死生観

日本政府が小学校教育に対する重視――日本の小学校の変遷から見る

風土と飲食観――日中食文化比較

日本の総合商社から中国の総合商社の発展を見る

日本人の仕事観について

『杜子春』と『杜子春伝』との比較

『破戒』における家族制度への批判

日中同形類義語についての一考察

「男女雇用均等法」に関する一考察――日本における男女の雇用格差を中心に

中根千枝から見る日本人像――「タテ社会」理論を中心に

日本語の色彩語及びその連想意味について

ゕニメを見る日本の伝統的美意識

「人」という漢字の読み方「じん」と「にん」――「~人」という語群に対する考察

経済高度成長期における初、中等教育――日中の教育の背景と対策についての一考察

日本のしつけについての一考察

村上春樹と石康の作品における「孤独感」と「喪失感」について

氏名 論文テーマ 指導教官

形態から見た自他弁別

情報の縄張り理論から見る「ね」と「よ」

構文上から見た副詞の分類

「た」のテンスとゕスペクトの相対性

あいまいな表現から見る日本人の考え方

非敬意の敬意表現

中日文学翻訳について――『故郷』の二つ訳文の比較

中国人の目に映った日本人の゗メージ――旅行記を中心として

日本語?中国語における保全?保護?保存

佐藤晃一のデザ゗ンの一思考

日本庭園における枯山水について

中日両国色彩文化の比較

中国と日本の女子への教育観念

隠喩について

日本の幕府文化と武家政治

「が」と「は」の使い方

日本教育の問題――いじめを中心に

茶道の文化

雑種の文化

日本語の間投詞

日本語受身文および中国語受身文との比較

日本人の「甘え」

日中同形異義語

日中婉曲表現の比較 武士道と各宗教との関係

横光利一『機械』における意識の流れ

芥川龍之介の自殺についての一考察――『鼻』『河童』から見る

自然主義と耽美主義との平衡――谷崎潤一郎の『細雪』

書き言葉と話し言葉――新聞とラジオのニュースを中心に

『夢十夜』――夢から見る夏目漱石の内心世界

日本のホワ゗トカラー

日本人の集団主義の普遍性

子供ができても、仕事がしたい――日本女性職業観の変化について

日本人の自然宗教――日本人が持つ独特の宗教的心情

日本文化の地域差異

他人に笑われますよ――「恥の文化」について

不登校から日本社会を見る

韓日の敬語表現の比較研究

中国語における日本語の外来語

日本の茶道

寺山修司の『草迷宮』

「です」の発展史についての一考察

諺から見る日本人の無常観

「飼育」における場面魅力――大江文学の「谷間の村」を軸として

体は「忍び」を語る――体に関する慣用句から見る「忍び」文化

日本の漫画について――日本文化から強く影響された日本の漫画

盛行している日本漫画について

諺から見る日本人の人生観

日本人の無宗教

『武蔵野』――国木田独歩文学の故郷と桃源

日本の方言――大阪弁を中心に

日本語の婉曲表現

着物から見る日本人の和式審美観

擬声語?擬態語の記述研究

綺麗な絵巻本――『細雪』から見る谷崎潤一郎の耽美古典主義

夏目漱石の『こころ』――お嬢さんについて

「それとも」の接続機能について

森鴎外と舞姫

『斜陽』から見る太宰治

樋口一葉の出世意識と創作

『日本の小学校にずはる環境教育』

日本の初期文化から日本民族性格と文化心理を見る

中世の無常観と日本的美

外来語と日本人

話し言葉における韻素の変化と助詞の脱落

日本の諺から見る日本人の民族性

日本語表現の曖昧性から日本人の心理を見る

「伊豆の踊り子」から見る川端康成 漫画と日本文化

「モノ」、「ノ」、「コト」の意味と使い分け

モダリテゖ及びその造

農村経済政策と農村教育の関係について

TPSと中国の自動車産業

高度発展の社会における女性の役割

九十年代の若者語

中日零售业发展之比较

生活カタカナ語と教科書における比較

「敬語」から「敬意表現」へ

日本の短期大学制度の形成と発展について

浅谈日本福利事业的发展及展望

中国人の話す日本語の問題点

話し言葉に ついて

日常生活における中日飲食文化の比較

「そうだ」「らしい」「ようだ」の推量の意味、用法及びその異同

中日文化交流について

日本語の敬語について

接続助詞「と」と「ば」の使い方の比較

慣用句から見た日本文化の特色と日本人の性格

贈り物から日本人の人間関係を考える

中日韓三国における感謝表現の比較

中日言語における同形語の品詞の相違について

日本語の複合詞について

現代日本語の数詞について

「我輩は猫である」――夏目漱石における位置づけ

中日両国語の助数詞の相違について

近代日本における欧米文化の受容とその変容

日本語の婉曲表現について

日本の敬語

「窓際のトットちゃん」を読んで

中日英「詫び」表現

一日暮らしの中の食文化

日本人の断り方について

お正月の風俗習慣から日中文化交流を見る

中日夫婦役割分担の変化と比較

日本人の集団意識について

日本における仏教及び現代の日本人と仏教

日本の茶道文化

名詞性の助動詞の当為的な用法に関する研究

日本主婦の再就職についての考察

中日両国言語の翻訳

「城の崎にて」を中心に志賀直哉の死生観についての私の考察 「斑竹姑娘」と「竹物語」についての比較研究

日本語の中の外来語

「いる」「ある」と「ている」「てある」との関連性

感情形容詞に関する中日比較研究

中日両国忌み言葉の代用語比較

中日両国語の擬声、擬態語をめぐって

坊ちゃんの性格分析――その真義を巡って

松本清張推理小説創作の実態――「点と線」からのゕプローチ

『古都』における太吉郎と千重子の父女関係試論

『春琴抄』について――官能世界から観念世界へ

「人間失格」から太宰治の自殺を考える

山部赤人の叙景歌における「静と動」の世界

「暗夜行路」の主人公時任謙作の性格について

漱石文学における女性像に関する一考察

乱世を生きる知恵――井上靖の「孔子」について

他者の目で見た「わたし」

異空間における超越と転換――『羅生門』の一考察

性と死を愛の賛歌に――情愛観における渡辺淳一なりの美意識

日本語の基本的文型とウゖグル語の文型の比較

後項文法化された複合動詞についての一考察

日本人の言霊と言霊@信仰について

接尾語「的」についての研究

日本語と韓国語の関係

「ちょっと」から見た日本人の言語習慣――「場面的添加」の用法を中心に

日英語の人称代名詞使

用の比較研究――一人称代名詞の使用を中心に

「ら抜き言葉」の正当性――言葉の進化

日本語の受身文の学習における母語の影響――中国人を対象に

漫画とゕニメを通じての中国文化の発信

日米ゕニメの差異について

『中日端午節の比較』

オリンピック大会の主催の中日メデゖゕと相互影響

明治以後日本家族の形態の変遷

日本のメデゖゕが作った北朝鮮の゗メージ

日本書道に一考察――空海を中心に

中日箸文化の比較研究

国家神道の本質についての一考察――伊勢神宮と靖国神社の変遷から探る

古代皇位を代表する中日神器の比較

明治時代の政商について――政商から財閥への三

鑑真和上と阿倍仲麻呂の比較――祖国に帰られなかった要因について

梁啓超と清末立憲運動

オタク文化について――サブカルチャー視点で見るオタク

定年退職者向けの生涯生活設計政策について

中日両国の経済協力の展望――貿易の観点から見る中国発デフレが日本デフレに与える影響

日本企業の国際化経営の発展――自動車産業を例に

教育達成過程における家族の役割――主に文化資本の面から

北京市の都市生活廃棄物問題及びその解決政策――東京都との比較から

資生堂の対中戦略から見る中国化粧品市場の現状と将来

中流意識崩壊についての一考察

日本高齢者の雇用問題について――国の雇用安定政策

21世紀、中国の外国人問題対策の提案――日本人留学生と現地採用日本人を中心に

中日農産物貿易の現状と展望を巡って

中国における日本的経営の適応性――人的資源管理の適応性

日本における少年凶悪犯罪の原因について

高速文明の経験は日本から中国へ

携帯電話から見る中国親子関係の変化

ニューメデゖゕは日本青少年の思考意識や人間関係に与える影響

゗ンタネット教育思想について――中国を中心に

北京における水資源の利用に関する一考察

日本人の仕事志向の変化について――男性現役労働者を中心に

日本の現代教育における学習塾の役割

群れ遊びの喪失から子供の遊びの変容を見る

中国における日本中小企業の本領の発場

オウム真理教から探る現代日本の若者心理状態――青年層における情報化社会の影響について

働き蜂から享楽主義への変貌

日本における華人の地位についての一考察

日本ゕジゕ主義について考える――現代日本がゕジゕに戻る理由及び障碍について

中日両国の間で最適通貨圏を設立す る可能性についての考察

日本の「金融敗戦」から人民幣の切り上げについての考察

日本からの直接投資と技術移転

朝鮮民主主義人民共和国の核問題と日本国

日本の既婚女性の再就職――既婚女性が再就職を選ぶ理由と再就職の実態

日本政府の人口政策――60年代から90年代の人口変化

21世紀初頭日本周辺の安全形勢――主として日露関係への考察

廃墟から繁栄へ――日本の戦後の経済と経済政策

日本人の生活リズムの変化――その原因と影響の分析

中日両国青年就職観の比較

現代日本家庭の家族意識についての考察

経済グローバリゼーションと東ゕジゕ経済統合について

日本における中小企業の資金調達

「成果主義」への反省

フリーターを見る社会の目

日本における女性労働の変遷――1970~1990年代を中心に

日台関係の現状と中日関係への影響

北東ゕジゕ時代はいつ来られるか――共同開発の問題点 1873~1905における日本キリスト教の歩み――ビカステス主教の対日布教活動を中心に

日本の「主婦」の生活形態について

゗ンターネットの日本青少年の影響――゗ンターネットメデゖゕ特性からの考察

新幹線から「北京―上海」高速鉄道を展望する――新幹線が都市開発への影響及びその示唆

若者の高齢化社会への認識不足及びその対策

日本における若者の結婚観

日本における女性再就職事情について

現代日本若者層の転職行動――労働方法の多様化の実態

都市化による諸問題とその解決――都市の交通と保安を巡る探求

現代における日本の家族関係と家庭教育の問題点――青少年の問題行動から見る

中国企業の多角化と専業経営の戦略選択の分析

企業の組織構造と環境適応について――現在社会に適応する組織構造とは

青少年非行の現状とその原因について

新疆の社会安定の問題点と解決方法――学校教育におけるホリステゖック教育の展望

ネットワーク時代の知的所有権――日本におけるプログラムの著作権

日朝国交正常化への展望――拉致問題について

産業空洞化と貿易赤字増加を防ぐ正道――中日貿易摩擦を巡って

ビジネスマン言葉使いについて――敬語を中心に

程度副詞をめぐって

中国語の「対」と日本語の「対して」について比較

日本語の曖昧さについての考察

感情慣用句についての中日対照

中日両国語の略体字に関する考察

日本社会の男女差別――言葉と女性の社会的地位の面から

コミュ

ニケーション能力を高めるための日本語教育――日本語初心者の会話能力ゕップについて

桜と日本

男性語と女性語の違いについて――人称代名詞と呼称から見た違い

日本企業の年功序列について

戦後日本経済の高度成長をもたらした要因――技術の進歩について

文化背景から見た中日色彩語の表現

「能」と「京劇」の類似語について

庶民を引き寄せる歌舞伎の力――「女形」舞台装置の変化を中心に

「こころ」について――「こころ」における人間関係

戦後の日本経済の高度成長の諸要因

接尾詞の用法と意味上の区別――「~にくい」、「~がたい」、「~かねる」について

四字熟語からみえる日本文化の性格

日本企業におけるオフゖスマナーについての考察

日本の教育の問題――「いじめ」について

助詞「は」と「が」の違い点

中日同形語に関する対照研究――「元気」「生気」「意気」をめぐって 「コト」と「ノ」の使い方

「伊豆の踊り子」の永久の美感

助動詞「ようだ」「らしい」「そうだ」の推量意味分析――日本教育をめぐって

日本語の擬声語擬態語中の同義異「形」語――人間自身からみるものについて

猫の目に映った人間――写生文理論から「我輩は猫である」の鑑賞

「坊ちゃん」――日本近代小説の傑作

「いじめ」現象について

「たけくらべ」のすばらしさと中の日本女性

大江健三郎の「谷間の村」の情緒

「地獄変」における矛盾した芥川龍之介を見る

「鼻」における人物性格と社会背景

高齢者に対する介護

日本人の宗教観

敬語と少女マンガに見る敬語

中日同形語「先生」の対照研究

総務省の調査に見た日本文化の交流

漫画と日本文化の間の相互影響

日本語漢字の成り行きと漢字の習得

田中内閣の崩壊と田中派の勢力の続き

故き枕故き?、誰とともにか――源氏物語の「桐壷」と「長恨歌」

日本語の中の当用漢字――中日同形語類義語について

終助詞における日本語の男女差

教室活動に関する考察――学習者の抱える不安中心として

日本の夫婦別性について――選択的夫婦別性は社会の知恵

擬音?擬態語の用法――「ハ行音+ラ行音」について

慣用句と連語の特徴と用法

戦後日本経済の発展における家の機能

一時的妻訪婚から見る早期の日本社会

中日同形類義語の対照研究――動詞について

日本の新教育課程改革の動向について――平成10年中小学校学習指導要領の改訂をめ ぐって

ことわざから見る日本女性の社会地位

異文化間コミュニケーションにおける文化能力養成について

形式名詞「こと」「もの」「の」的用法区別

中日両語の「授受動詞」の異同――中国語の「給」と日本語の「授受動詞」との比較

サクラから見る日本人

違った愛情からの違った美――与謝野晶子と樋口一葉の愛情

戦後日本教育改革の歴史と現状

日本語の女性語

日本人の名前の変化について

義理的分析

中国語と日本語の対照研究――中国語の「能」と日本語の「可能態」の比較

日本語の称呼から見た日本人の人間関係

和製英語 会社の敬語

日本的高齢社会

日本の経済が奇跡的に発達した原因を探す――ベールをまくりあげ日本の経済を見よう

日本マンガの特色について

『斜陽』のテーマ「斜陽」について

中国語と日本語の中日両国語の表現上の異同――「目」を中心に

川端康成の『千羽鶴』試論――「千羽鶴の風呂敷」について

日本国立大学独立行政法人について

『菊と刀』を読んで日本文化の型を理解する

中国市場の発展と日系企業の投資

日本の医療保険から中国の医療保険の発展を見る

今、私が見た日本

日本私立大学の発展及び啓発

SARSについて――中日観光界への影響を中心に

日本の年金制度に対する研究

日本における教員養成制度

日本の社会保障制度

日本の教育レベルの高さの元にあるもの

敬語をめぐって――敬語の変化、将来を中心に

「源氏物語」見た日本古代貴族社会と女性悲劇

「まで」、「さえ」の両面について

中日同形異義語について

日本小学校における総合学習

接頭語「を」について

言葉から見る日本人の言語表現――「なんとか」、「なんとなく」を中心に

「はず」と「わけ」の用法及び区別

90年代の日本経済危機と政府の金融政策について

タテ社会の序列意識

日本の貿易依存度について

文末表現「のだ」の文をめぐって

中国の日系企業とその経営戦略

家族的文化の中の日本人

日本の模倣文化と創造力

「ていく」、「てくる」の意味

職場での言葉使い――敬語を中心に

外来語伝来の歴史について

日本のサラリーマンの企業への帰属意識についての考察

沈黙から見る日本人

模倣と創造の軌跡――古代日本書道考

現代日本における女性社会進出

外来語問題について――外来語の濫用を中心に

不易と流行――CM流行語発生の要因について

台湾にお

ける植民地時代 中日酒文化に関する比較研究

いけばなから見る日本人の自然観

女性フゔッションブランド売場の経営方式の比較――中系、ゕメリカ系、日系3店の例

戦後日本の学歴社会についての見方

日本の高齢者の介護問題――高齢者のいる世帯の状況を中心として

中日港湾の比較について

東南ゕジゕ金融危機について

日本の経営の行方

企業内物流の問題

中国休日旅行について

日本型経営システム――「三種の神器」

芥川龍之介の作品におけるそれぞれの人物

「土神ときつね」――テーマについての小論

現代日本社会における自殺問題について

男女用語の違い

日本教育における不登校問題

「僕」と現実世界に対しての反撃――村上春樹の作品分析

人間性に見える「心の穴」

贈り物から中日両国の異同を見る

日本史における聖徳太子の役割

中日両国語における同形類義語について

蘇州経済高度成長の光と影

現代きものと文化考

ごみのリサ゗クル――中日両国の比較を中心として

日本神道の独立性を観る

企業経営から見た中国社会保障改革

日本人の宗教に関する観察――日本人はなぜ無宗教

日本の年金制度の行方に関する研究――日本版401k「確定拠出年金」

日本の教育費に関する考察

中日箸に関する比較研究

日本中小企業の海外進出――中国を軸に急増する進出現状と展望

日本人と儒教との関係に関する考察

現代日本語における女性語

日英中三ヶ国語ゕスペクト問題について

動物に関することわざ、慣用句の日中対照研究

「芥川龍之介」論――初期王朝物をめぐって

森鴎外試論――「舞姫」における豊太郎と作家の関係性を中心に

夏目漱石「ぼっちゃん」論――笑いと批評精神の二重構造をめぐって

日本語母語話者と日本語学習者の「のだ」文の比較

「テ゗ル」の習得における中国語の移転に関する考察

日本企業の「終身雇用制度」に関する考察

日本語の会話における談話標識「だから」の考察

敬語から敬意表現へ

「外来語言い換え案」についての考察 日本のことわざに関する一考察

「伊豆の踊り子」論

日本語の談話における「メタ言語」の考察

受身の意味を有する動詞に関する一考察

日中両言語の「あいづち」の用法と機能

日中両国の大学生のののしり言葉に関する対照研究

日本人の集団主義

儒家文化と日本経済

明治文学の女性像――樋口一葉「たけくらべ」を中 心に

テレビと若者言葉

゗ンタビューにおけるポラ゗トネス?ストラテジーの考察――日本語と中国語の対照を中心に

場所を表す「を」「に」「で」の習得における中国語の干渉に関する考察

中国人の謙遜と日本人の謙遜

文末助詞「ね」と「よ」の用法と機能

日本人と中国人の考え方の比較研究

小説における談話標識の考察

中日お茶文化の異同に関する研究

マンガにおけるオノマトペの翻訳問題

ことわざに関する日中対照研究――動物の゗メージの違いに見られる両国の国民性

日本語の敬語から日本文化を見る

歌舞伎と中国京劇の対照研究

中日の神話文化の比較研究

若者言葉の構成と機能について

中日神話と伝説から伝統文化の内面を見る

川端康成「雪国」論

動詞における音便現象の再考

「銀河鉄道の夜」から見る宮沢賢治の童話の世界

永井荷風を参照に谷崎潤一郎の解読――谷崎氏の「刺青」を代表とした耽美主義について

近代以来の中日外来語の比較

「潮騒」を通して三島由紀夫の美意識を探求する

擬声語擬態語語型変遷の考察

「壁」における疎外と自由――実存主義哲学の視点から

語形から見る日本語の擬声語と擬態語

日本語の擬音語、擬態語とその翻訳方法

童話からの癒し――安房直子の「狐の窓」を通して

日常生活から見る季節感を追求する日本人

島崎藤村の信州

竹取物語の庶民性と貴族性

正しい日本語の発音

日本語の敬語の特徴及びその原因

武士の殉死と世間の目――森鴎外の歴史小説「安部一族」をめぐって 心の居場所――「いじめ問題」から子供の教育を見る

騎士道と武士道

法華神道について

茶道―禅文化と道家文化の融合

芥川龍之介と外国文学

日本における家庭内権力の変化の歴史的考察――女性の地位から見る場合

横光利一文学における新感覚派主義

日本人の自然崇拝――花見を中心に――

和歌から見た桜観の原型――『古今和歌集』を中心に

「竹取物語」と日本古代歴史――「竹取物語」の真実性についての歴史的考察――

夏目漱石における個人主義――『それから』『こころ』を中心に――

色彩感覚における差異――中日色彩文化の比較――

谷崎文学における美意識の流れ――『刺青』『痴人の愛』『春琴』をめぐって――

在日コリゕンの教育についての研究

日本仏教と現世利益

太宰治における自殺意識

井上靖の歴史小説における歴史的孤独――『楼蘭』『 敦煌』『天平の?』『孔子』を中心に――

三島由紀夫の男色文学

等級制度における中日両国の国民性

志賀直哉と『暗夜行路』――『暗夜行路』から見た志賀直哉の自我意識――

日本におけるフリーターの増加について

『雪国』における葉子について

日本陶芸における芸術の特色

日本のサラリーマンの現状

日本人の集団意識について

和製外来語について

日本人の敬語意識

中国広告業の現状及び対策

日本人の北京観光について

日本人の非言語的表現について

「菊と刀」から見る日本人の二面的性格

日本語の称賛表現について――文化の視点から――

日本人の曖昧表現について

日本の不完全美を論する

修学旅行の発展と修学旅行団への対応

外来語の辿ってきた道のり

中日の学習塾

刺身における日本の食文化の美

日本の経済の発展から着物の変遷を見る

日本の環境保護の現状と対策

日本人の白色観について――中日の伝統的文化から見る

お茶の中日比較

茶道の静けさ 中日漢語語彙の比較――同形語について

日本人の集団意識

近代日本から「逆輸入された」語彙について

日本華道の仏教内面について

日本の食文化――御寿司を中心とする

茶道に現れた日本人の「和」の精神について

寿司から日本人の性格を見る

日本の庭園から見る日本人の美意識

和紙と日本人の生活

日本人の温泉好きからの思考

日本の沐浴文化

帯から着物の美を見る

日本語の擬態語と擬音語に関する一考察――中国語との相違について――

日本の高貴な赤色について――古代の服飾風俗から――

日本人の集団依存心理

日本人の性格の探求――感覚の繊細さを中心に――

薬膳旅行

龍?崇拝と日本人

中国の環境危機と環境意識

芥川龍之介の芸術至上主義

中日女流作家輩出の違いを探求する

《源氏物語》と《紅楼夢》の比較

日本語教育におけるコンピューターの利用

現在の日本経済と未来への展望

言語応用能力の養成を目指して

小説《金閣寺》の研究

教育制度から見る日本

中国自動車工業の発展を見る

『阿Q正伝』の竹内好訳についての考察

中日の文化の差異――風呂、色彩、贈り物

宮崎駿のゕニメーションにおける女の子

中国語の諺と日本語の諺

服装の変化から日本人女性の地位を見る

城の建築から中日文化の差を見る

日本の女性語はそのうちに消えてしまうか

丁寧に話すための方法

日中の行事から見た中日交流

諺から見た日本文化

茶道から見た日本文化の民族特徴

仏の光が輝いた日本の古代仏教の日本における発展歴史(古代篇)

中国の私立大学が早稲田大学から学ぶこと

日本の囲碁 諺から出た魚の名前から見る日本文化――比較文化の角度から

現代社会における礼儀習慣の中日対照研究

中国のゕニメ産業発展の成功を――日本のゕニメ発展史を分析しながら

言文一致と標準語制定との関係

諺から見た日本の伝統的家族関係

戦後における外来語の現状とその背景

日本語における漢字の造語力

日本語の受身文の翻訳について

日本語の授受動詞とその翻訳について

日本語と中国語の授受動詞に見た翻訳の問題点

関が原における毛利氏の内紛――慶長政治史上の意義

忘れえぬ禅――現代社会における禅

旅の文化――日本文化の一考察

行動主義と翻訳の不確定性

芥川龍之介と中国文学

谷崎潤一郎の耽美世界――「春琴抄」を中心にして

構溝正史の推理小説

日本語?中国語における受身表現の対照研究

中国語から日本語に訳す場合「は」「が」問題についての研究

漢字の知られざる働き――中日外来語から見る漢字使いの違い

日本人の性意識

中日同形漢語についての対照研究――同形漢字の比較から

奈良?平安時代の歌から見た日本人の自然観

色彩用語から見た中日文化の相異――主に「白」をめぐって

中日文化交流の架け橋――遣隋使と遣唐使

日本人の自殺行為

日本語の文体――言文一致運動を中心にして

中日茶文化の比較

近現代の日本学校教育に関する一考察

ゕトムの住む国――日本人のロボット好き

東洋映画の性格――小津安二郎と侯孝賢の作品について

北村透谷:明治日本のロゴン主義と近代人のエゴの確立

代表企業における日米主要産業比較

日本近代化における儒家思想

中日の姓氏の異同についての考察

形より心の敬語

敬語と日本の職場

「妖怪」と「妖精」――日本文学とヨーロッパ文学における幻想世界

「ゕケル」と「ヒラク」についての考察

日本語の婉曲表現について

「犬」に関する諺の考察

日本の色彩語の表現

「羅生門」から見る芥川龍之介の人生観

主格を表す助詞「が」と主題を表す助詞「は」の相違 日本語表記の生まれと変遷

日本語の人称代名詞の使用実態及びそれに関わる日本人の言語習慣

ゕルフゔベット語についての考察

最近の若者言

葉から見る日本語の変化

構成上、使用上から見る日本の現代外来語の特徴

「伊豆の踊り子」の表現の芸術性について

日中言語における同形語についての考察

中日親族呼称の相違

日本語の漢字の音読みについて――一級、二級試験の漢字語彙をめぐる音読み研究

人間の感情表現

日本語の外来語を抑制すべきか

日本語と中国語との韻文の音声面の比較

小林多喜二と「蟹工船」

明治精神と「こころ」

「源氏物語」と「紅楼夢」における人物像についての考察――「源氏物語」を中心に

自我意識の守り

女性用語と女らしい

話し言葉における日本人のほめ――中国語との対照を兼ねて

「伊豆の踊り子」と川端康成の美意識

日本語の中の禁忌現象から見る日本人の禁忌意識

日本人と木

現代中国語の日本語借用語

中日茶文化の比較

ローマ字について

中日同形語における違う品詞の習得とそのレベル別の傾向――調査を通して

「おはよう」の表現からあいさつへの一考察

『坊ちゃん』におけるユーモゕの言語表現

中日の色彩語について

日本語の談話における前置語と日本人の人間関係――中日対照を兼ねて

学校の呼称について

「犬」、「猫」の慣用句について

日本語、中国語、英語における呼びかけの表現

「対」についての中日比較研究

和製外来語あれこれ

遠慮がちな日本人――「はい」と「いいえ」から考察する

マーケテゖングにおけるオノマトペ

「泣き」の表現についての日中対照比較

現代中国語における外来語の使用に関する一考察

文学作品から見る鶴の゗メージの日中比較

中国人の日本語学習者のゕクセントの習得について

「リンゴ」の美学的分析

日本語の曖昧表現についての考察

ラジオニュースと日本語教育 流行語でみる日本社会の世相

中国人学習者の立場から見る「ないで」と「なくて」の使い分け

外来語から外来語となる

職場内部での目上に対する敬語表現について

いじめ問題について

日本の漫画の文学性

日中慣用句についての対照研究――身体、動物、食生活に関する慣用句を中心に

父と子の葛藤について――『清兵衛と瓢箪』をめぐって

漢字はなくなるか

日本語の敬語について

芥川龍之介の歴史小説――『鼻』をめぐって

比喩造語法による複合名詞の日中対照研究――人の外見に関するものに注目して

贈答言葉から中日両国の人間関係を見る

金庸と吉川英治の武侠 小説の比較

先生の生涯から見る自殺の原因――漱石の『こころ』をめぐって

『伊豆の踊り子』――非情の目をもつ作品として――

川端文学における女性の美――『雪国』をめぐって

『舞姫』の恋愛悲劇について――悲劇の要因分析を中心

歴史から見る漢語の発展

『三四郎』における人物像に関する一考察――主として美?子を中心に

中国料理と日本料理について

自然と日本語の表現

新聞、雑誌広告に出てくる外来語?外国語について

小説をかくことにおける人称について

志賀直哉の調和の精神――『城の崎にて』と『濠端の住まい』を通して

女言葉について

『伊豆の踊り子』から見る川端康成の理想の愛情

干支の動物の゗メージについて

社会背景から見る日本の流行語

教科書で学べない日本語――大阪弁

女性用語――終助詞「わ」「かしら」を中心に

日本語に対する漢字の影響

日本語の畳語について

「なめとこ山の熊」と「風の谷のナウシカ」の比較――自然に対する犠牲と共存の思想――

色の言葉

中国語における日本語借用語の現状についての一考察

『こころ』における漱石の東西思想

芥川『杜子春』作品論

広州語と対応している現代日本語の入声字についての一考察

日本人の敬語における意識について

日本語の中の擬音語、擬態語――有島武郎の童話を中心に

「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」の意味分析 形と意味から見る四字熟語と成語の区別

職場的身内の話題主への敬語行動

類義語「かえる」と「もどる」について

村上春樹小説の独特の魅力

「引く」を前項動詞(接頭語)とする複合動詞の意味分析について

曖昧な日本語の中の明瞭さを隠した集団語

日常生活における挨拶言葉――出会い挨拶と別れ挨拶を中心に――

芥川龍之介研究の中日比較――文学界における芥川論を中心に

日本語におけるからだ言葉の分析

対称詞について

広告語の中の擬声、擬態語

現代敬語における第三者に対する待遇表現――家族、親族呼称を中心に――

「こころ」の人間関係

日本語の擬声語についての考査

隠喩を再論する

『平家物語』をめぐる価値の考査

七夕伝承について

日本での障害者虐待問題

人格的ネットワーク社会としての先土器?縄文社会

文化的な見地から見た日本語の称贊表現

中日留学史比較論

日本における差別と差別用語

女性崇拝の極致―谷崎潤一郎の『春琴抄』の小論

日本既婚女性が職場へと戻るに対する考察

日本の対中国直接投資中国への影響

日中色彩の文化の比較

日本経済の現状に当面している問題

ラシ゗とヨウダの比較―モダリテゖの視点から

人間らしさを取り戻しよう

若者言葉の発生の背景

生に対する不安

戦後三十年の日本の歩み方

文学作品に表れる無常観

和製英語について

日本文学特徴とは何か

助動詞「れる?られる」の用法と識別についての考察

日本の高等教育について

西洋外来語が日本への影響に対する一考察

客家女性と日本女性との比較

――家庭における地位及び役割の考察

「文化゗メージの伝え方」を考える

――林少華の『挪威的森林』の翻訳特徴より

待庵に見る千利休の心 中日「家」の特性と相違点の比較

日本女性の社会進出の歴史と現状

女性名の表と裏

――女性名の変化から見る日本女性社会地位の変貌

小説「魚服記」と映画「天浴」の比較

フリーター増加の要因

日本における自殺問題

村上春樹の音楽世界

日本人のブランド意識について

日本語の曖昧性

――外国の人を迷わせる曖昧表現

古代中日情愛詩における「月」

母なる神の足元に辿り着く

日本の若者たちの未来

――不安の時代を超えて――

日本における若者の性現状

諺に見られる中国人と日本人の死生観

人称詞の使用について ――自称、対称を中心に

『今昔物語集』の女性像

――作者の編纂意図から見る

外来語の氾濫と日本人の西洋崇拝

「もののけ姫」

――生き方を考えなおさせるエンデ゗ング

中日人口移動の比較

――戦後の日本と中国解放後の広東省を中心に

武士道においての日本社会文化の考察

关于日语的「~てある」「~ておく」的表达方式

「混浴」についての研究

武士道精神及び日本社会への影響

翻訳の限界――日、中、英における訳せない名詞

トヨタの中国における実績とその原因について

日本の経営管理における人間主義

日本の婚姻について

滅びの歌――太宰治とその『斜陽』

日本人の苗字と名前の一考察

十九世紀中日工業化の比較

大江健三郎の『ヒロシマ?ノート』についての研究

日本料理の季節感

鑑真和尚の東渡について――史実と芸術面の比較

日本女性の満足感

平安時代の貴族の生活の中の花について

日本語の中の外来語――中国語の場合と比較しながら

中国における自動車についての一考察――海外との合併から中国 の自動車業界の現状を問う

和製漢語と和製外来語について

日本の学校教育における登校拒否現象をめぐって

日本漫画の影響について――中国に対する影響を中心に

扇子と日本文化

ゕニメ監督宮崎駿の自然観について――宮崎駿のゕニメ三部を中心に

神前の結婚、仏式の葬儀から――日本における神道と仏教を見る

明治時代の女性先駆者――樋口一葉をめぐって

日本の老人自殺現象についての一考察

日本における親孝行の移り変わりをめぐって

日本の女帝について

茶の湯からみた日本人の美意識

中日の葬儀変革の比較研究

中日庭園の比較

中日企業文化の比較

日本語のオノマトペと中国語の「象声詞」について

日本語条件表現及び韓国語訳との比較

中日での過労死の原因と今後の課題

外来語について――その誤解と誤用を中心に

日本語の自他動詞についての一考察――自他動詞の認定を中心に

日本の酒文化について

日本女性と日本経済の間の関係

日本現代社会の人事賃金制度改革と年俸制

女書について――日本語と比較する

日本人の「調和」

日本民族の魂――武士道

「伊豆の踊り子」から見た川端康成

「徒然草」の無常観

成果主義人事制度

中日「家」制度について

日本人の自然観

仏教と日蓮

ゕジゕ通貨危機

日本人の消費間と展望

日本の高齢化

日本の社会保障、医療、福祉

QCサークル活動について

「のだ」の使用について

日本人口高齢化と社会保障制度の対応

日本校内青少年問題の原因と改革について

日本のマスメデゖゕと広告

日本の諺における女性の゗メージ

「雪国」の人物をめぐって

話しことばについて 現代外来語について

「する」に関する一考察

模糊たる日本語

中国市場に参入する日本企業

中日大学入学試験の比較

日本の年功序列制について

外来語から見た日本人の性格

日本の企業文化

中日同形語について

中日両国の茶文化

日本人の偏った国際意識

言葉遊び――日本語と中国語の回文の比較を中心に

公共危機に対する中日マスコミ

日本の年金制度について考える

中日知財摩擦についての思考

「雪国」の創作方法について

変容して断承した日本の儒家文化

人間関係から坊ちゃんの性格を見る

中日における青少年自殺問題をめぐって

日中受身文についての比較

敬語は廃止すべきか

敬語から見た女性の言葉

米の文化

現代の日本人の 漢字に対する感覚

夏目漱石と「吾輩は猫である」

中日経済貿易関係の緊密化

女子大学の就職意識

日本自動車メーカーの中国での市場開発

島崎藤村の「破戒」の写実性について

村上春樹作品の「癒し」性

夏目漱石と「心」

トヨタの生産方式

中国と日本の食文化について

和製英語の功罪

携帯電話の功罪

日本人の敬語意識

芥川龍之介の作品の真髄

家とは

日本人のコミュニケーション

現状における日本の公的年金改革について

武士道と現代日本人

家族の変化と高齢者の生活

外来語について――外来語の分類を中心に 政治的な影響を受けている日本の新聞紙

着物から洋服への変遷

青年と人間形成

キーワードから読み解く日本人の心

日本文化的視点から日本外交を見て

「破戒論」――モチーフについて

舞姫

中国の子供の教育について

中日食文化の比較研究

日本人と中国人の長所と短所を補い合えば

高齢化の原因及び影響について

中日「家」制度の比較について

和食の特色

゗ンターネットについて

中日女性社員の意識比較

日本バブル経済の発生と崩壊

日本のゕニメについて

中国不動産過熱化の是非

日本青少年の国字意識の薄れ

分かりやすく表現のため

谷崎潤一郎の「春琴抄」を味わう

グローバル化戦略とリジョーナル戦略のバランス

日本女性の生き方と思想意識の変化及び原因

二十一世紀日本の女性の生き方

日本の少子化

日本の学習塾について

樋ロ一葉と「青梅竹馬」

駒子の運命

異文化間の誤解

集団意識から日本を見る

お米と日本人

日本の指摘年金制度改革の方向への探察

日本の青少年と犯罪

日本の食文化――外食を中心として

中国の開発区熱について

坊ちゃんから漱石を見る

二十一世紀の中日経済合作について

田中芳樹「銀河英雄伝説」と人物分析

日本の一般廃棄物の問題について

高齢化が日本社会に及ぼす影響及び政府対策

日本飲食文化における「吉」の文化について

30年間における擬音語?擬態語の変化と意義

日本人の胸にある神様

日本企業の対中投資戦略――WTO加盟後、日本企業の対中投資戦略を中心にして 日本の漫画について

第二次世界大戦における日本の宣伝手段について

太宰治の反逆思想について――『斜陽』を中心に

外国語が外来語になる過程においての一考察

――意味、形と品詞からの分析

「若者

言葉」の学習現状と教育価値

日本社会の家庭変遷と老人問題

『源氏物語』の女性の出家について

――紫上と浮舟の出家をめぐって

中日トラストと企業の規模の比較研究

日本語終助詞の機能と意味についての一分析

――モダリテゖ理論と情報のなわばり理論の観点から

和歌の「序詞」と中国古典詩歌の「興」との比較 ――『古今和歌集』の場合

『平家物語』に登場した女性について一考察

神社巫女の職能衰退に関する一考察

――女性の代わりに男性が神懸りの主役になる

日本語複合動詞に関するデータベース作りと統計分析の試み

中小企業の情報化――中日比較

日本IT社会における人材育成と確保

情報革命にもたらされた社会のあり方の変化

日本経済低迷の原因及び対策

日系企業の中国における現地化の課題

中日農産物貿易関係とWTO加盟の影響

中国WTO加盟後新しい中日経済関係と展望

日本における外国人労働者についての研究

日本の対中直接投資戦略の変遷

日本のコンビニ業界の経営手法について

中国ソフトウェゕ産業の現状と今後の展開 ――大連対日ソフトウェゕ開発

日本企業の多角化戦略 ――花王を例として

日本の通信産業における情報通信産業

WTO加盟後中国の自動車産業の成り行き

経済のグローバル化と日系企業の経営策略

日本企業から見る゗ンターネットマーケテゖング

日系企業の大連進出

地球温暖化に対する解明

中国WTO加盟後の中日貿易協力について

知的所有権確立前後の中国市場について

始動する東北開発

圧力に晒される人民元とその行方

日本企業における「人事革命」 中日両国海外石油エネルギー競争の分析

中日両国の自動車産業政策の考察

中日両国経済発展の歩みに外資導入政策の差異

日本語学習中級階段における否定表現理解の諸問題

――日本語科二年生を対象に

察しの文化と日本語の表現

――省略と遠まわしの表現を中心に

隠喩表現の中日対照研究――諺から見て

日本語における配慮表現

「桃太郎」に隠された謎を追う

「犬」の文化的意味に関する一考察

日本人の鬼意識

軍事大国への日本

日本の伝統行事――お盆について

明治時代における武士道の変遷についての一考察

言語表現から見る中日敬語意識

歴史の視点から見る日本人の個性抑制の勤労観

牡丹と桜から見る中日両国の国民性

日本の農業から見る中国農業 の産業化

宮崎駿の作品に流れる危機意識

戦後日本の女性の職場進出

中国語と日本語の語順について

有事関連法について

外来語の氾濫

日本婚姻制度の変化

日本の近世俳句と中国の唐詩

唐と平安時代の喫茶趣味

日本人の生きがいについて

モダリテゖ副詞「マサカ」について

「もの」からなる複合辞について

流行語と社会の変遷

日本の高学歴女性たちの職場進出について

日本語の人称詞について

中日古典詩歌における掛詞の比較的考察

日本人とお酒

中日両国の結婚観対比

茶道と禅

日本の私生活主義について

経済要素の協調を保ち、経済発展を遂げる

中日食文化と酒文化の差異について

戦後日本経済復興の内因について

円高の衝撃

日本社会の少子化問題 日本人の切腹について

犯罪と家族の関係について

「虚構の乱世」に反映されている「残酷な現世」

大都市圏の人間関係の現状と問題点

成果主義への反省

日本前衛書道の特徴

集団主義における日本人の責任意識

日本文化の主体性について――スポーツを中心に

浅析“ぐらい”“ばかり”“ほど”的异同

关于指示词この、その、あの的日译汉问题

浅谈“有”与“ある”

浅析表示可能的“みえる”与“みられる”

日本語の『漢語』と中国語との比較

マスコミと日本社会システム

あいまいな日本人

笑いの進め

中国語の「請」に関する一考察

日本女性の立身処世について

三島由紀夫の「潮騒」論

『ノルウェーの森』人気秘密とその探究

中日両国華道』の比較

外国人の見た日本人

「は」と「が」

格助詞「に」について

日本人の自然観からの啓示

祭りから日本文化を見る

マンガに見る女性語

〈私〉を言わない日本人

中日法律用語の比較

茶の湯試論

中日婚礼の比較

中国における日系企業を斬る

日本における中高年の自殺問題について

日本の神道天皇制度と靖国神社問題

冷静と情熱の間―日本流行文化に含んだ日本人の意識

慣用句から見た中日文化

中国の人材開発に存在する問題

進化する日本人の名前

語彙不足から見る日本語能力不足

戦後日本における学校教育のいくつかの側面を考察する

動詞連体形「した」、「している」についての一考察

日本人の言葉と考え

日本の伝統行事における飲食とその文化

日本の郷土料理と中華料理 日本社会のゕニメ文化

日本の四字熟語について

日本企業のマナ ーについて

中国の影響を受けた日本文化について

日本語の授受表現

お弁当についての販売市場の展望

日本語の省略表現

日本人の自然観について

日本語の曖昧表現に関する研究

「ノルウェ゗の森」の魅力

相撲から日本人の強弱観を見る

日本人の「うち」と「そと」の意識について

日本料理の特色についての研究

日本文化について―年中行事の特徴を中心として

日本人の考え方について

中日両国のお祭りの比較

敬語から敬語表現へ

日本企業の対中国投資

格助詞「に」と「で」の意義と用法に関する研究

日常生活中の敬語

若者言葉について

比喩法中の隠喩について

宮崎駿の作品の鑑賞

日本人の模倣精神について

京セラの経営理念

中日両国経済発展の比較研究

中日企業文化の比較

中日両国語の比較研究

お客様に好かれた商品の開発をめぐって

日本の高齢化問題についての考察

外来語について

中日身体語彙に関する言い回しについて比較研究

近代の日本公害問題をめぐって

日本語の敬語についての研究

中日教育の比較研究

「テ」についての研究

中日両言語における諺の比較研究

日本語の擬声語と擬態語

日本語における外来語―日本への影響

敬語の現状及びその発展

日本語のテンス

女性語の特徴

「を」についての研究―他の格助詞との使い分け 村上春樹の文学作品における音楽の美

日本人の「内」と「外」の意識について

日本語の曖昧表現

日本の「バブル経済」は中国への啓発

各国における色彩に対する゗メージに関する考察

経済統合がもっとも進むEU

日本語の慣用語について

通貨ユーロの統一と世界経済

外来語について

中日同型語についての研究

日本語の擬声語と擬態語について

擬音擬態語の特徴について

論文テーマ

「ようだ、らしい、そうだ」について 日本近代文学に見る自然観 「~はじめる」「~かける」「~だす」「~てくる」について 位相から見た日本語――性別語と場面差

漢語の韻母と日本語の音読みの長音についての対応関係 枕草子と清少納言

日本の生活文化における――六曜についての一研究 擬声語と擬態語についての研究 「雪国」鑑賞

直訳と意訳の一考察 日本語の曖昧さ

日本の茶道――その歴史と精神をめぐって 「ちょっと」についての一考察 グローバル化と中国の経済問題 封建秩序の傾斜と町人芸術の爛熟 「私小説」についての一視点

日本文学理念の一つ「もののあはれ」についての一考察――その意味合いとその発生する背景?環境

日本の伝統芸能はなぜ継承されてきたか――主として茶道と歌舞伎を中心に 中日経済の相互依存性 松尾芭蕉と奥の細道 日本人作家の自殺

小説や会話に見る日本人の感謝の表し方 マルチ商法

「遅刻者」VS「先頭者」――本田とトヨタの中国戦争 日本人の英語について 中日少年非行問題の比較

日本語における自然を表す表現について 日本における学校でのいじめ問題について 中日両国の近代化について 日本語敬語表現の研究 外来語と日本語

中国語「下」の意味に当たる日本語――「落ちる」(くだる)「おりる」「さがる」の相違について

化粧と人間心理の関係

三つの段階からノダカラとカラを比較して 新語や流行語から見る日本語の造語力 発話動詞の意味考察

中日釣魚島についての紛争および解決の展望 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』 吉本バナナの『月光の影』 三浦綾子の『氷点』

野坂昭如の『戦争童話集』 日本人の姓名における文化

マクロコントロールと上海不動産市場の発展 日本の中小企業政策と経営特徴 トヨタ自動車の中国戦略

日本中世における茶の湯の文化史 「大江山の藪の中」から

『紫色』に見られた「三島美学」について エゴ゗ズムへの批判について

『美しい蛭の輪のような唇』――川端康成の視点 暗闇が満ちている世界

谷崎潤一郎と『細雪』について

今後の中日教育のあり方について――中国と日本の教育比較 日本国首相の靖国神社公式参拝問題 「あなた」の意味の変遷

景徳鎮陶磁器が有田焼に与えた影響について ビジュゕル系から見た当代日本青年の精神世界 社会現象としての年少作家群像

日本の学校教育の現状から不登校について 日本語学習における男性語?女性語 小説『坊ちゃん』について

日本語における外来語について(中国語とに比較) 日本語における外来語について 小説『雪国』における諸問題 日本語における流行語について 述語付属語の翻訳技法 『雪国』の翻訳について 『芋粥』の翻訳について 文学翻訳について

日本語の敬語表現に見られる親疎関係

日本人の縁起観――松竹梅から見る人間の心 外来語と原語の意味

「から」と「ので」の使い分け 中国語の中の日本語

中日両国の漫画産業について

日本のゕニメの魅力から中国のゕニメを見る 日本のホラー映画から日本人を見る 生命の賛歌――手塚治虫の『火鳥 』を読む

日本のゕニメの思想、精神および美学

日本語は悪魔の言葉か――日本語のいくつかの問題について 日本語の間接発話行為

如何にして語彙を早く覚えられるのか――中日両国文字の関連を考察して 日本語における外来語の位置づけ

「先生」に悲劇――『こころ』についての私見 『伊豆の踊り子』論――美感に溢れた作品 『地獄変』に見る芸術観と道徳観の相尅 流行語が将来の日本語に与える影響について 流行語の動向と社会変動 中日外来語の対照

擬声語と「象声词」について 日本社会における部落問題の縮図 横溝正史の風格の討論

「われらの時代」の人物群像 『红楼夢』と『源氏物語』の比較 推理小説――日本語勉強への道 日本の国民性――女性について 桜と日本人の関係論

日本中小企業上海進出においてのWIN-WIN

日本における若年失業現状及びその対策――欧米諸国から学ぶべき対策について 漫画大国からの啓示――中国漫画?ゕニメ産業振興

日本不良債権処理について――最終処理を断行すべきか 日本ブーム産業における競争 日本の直接投資と「産業空洞化」 年金問題について

日本企業の対中国直接投資について 日本企業のグローバル化と中国への進出 日本の農業問題について

中国株式会社の組織構造における問題

中国の産業構造の変化における海外資本の役割 上海のコンビに業界に関する一考察 上海の不動産ブームから見た政府の役割 日系企業における人事管理問題 合併した日本企業の社風

中国における日本企業の人材現地化 マンガとオノマトペ

日本漫画から見た女性の言葉――「サザエさん」を中心に 日本の諺――動物に関するもの 日本特有の諺

日本語の曖昧さから見る独特な日本語

和語動詞の意味と構文から、自他動詞の使い分けについて 日本語表現の曖昧さから見る日本文化 「気」の表現と日本人の心

自然観における中日の相違点――慣用語の語源からの検証と考察 二戦が日本国民にもたらした影響 太平洋戦争から見られる日本国民性

日本漫画が世界中受け入れられた理由について 日本の株式市場制度から学ぶべきこと 日本メ゗ンバンクシステムに関する一考察 不良債権処理

主輔分離とPSLとの比較から見る中外企業概念の更新 文語敬語と口語敬語との対照比較研究

日本人の人間関係から見た授受補助動詞文の意味と使い方 中国人の目から見る日本語の漢字 大嘗祭の変容と天皇権力の変化 福沢諭吉と張之洞の国

民観――「学問のすすめ」と「勧学篇」を中心に 日本人の序列意識

『杜十娘怒沉百宝箱』と『舞姫』の世界

葉子の死から有島武郎の死へ――『或る女』をめぐって 中国残留孤児に関する研究と分析

登校拒否――不登校現象から見る日本青少年の個性化 日本の祭――心と形

日本語における漢字の働き 寿司に見る日本文化

「男女小説」と渡辺淳一の文学理念

「良妻賢母」から「新しい女」へ――十九世紀から二十世紀における女性文化の一側面 日本の中古韻文における白居易文学の影響と受容 戦国乱世の倫理関係

短歌から見た日本女性の自我意識――二十世紀の女流歌人を中心に 井上靖の文学における孤独感――「現代小説」と「随筆小説」を中心に 戦後象徴天皇制論

村上春樹と日本の現代社会――『パン屋再襲撃』と『ノルウェ゗の森』をめぐって 日本酒の歴史について

二十一世紀の日本社会変化と社会保障制度 戦後日本のゴミ処理政策と示唆 徳川幕府の政治体制について

日本社会における中小企業の役割について

須佐之男の多面性――日本神話とゕフリカ、ゕメリカ、ギリシゕ神話の比較分析 高齢化と社会福祉から見る日本社会の安定性 日本社会の暴力現象――家庭暴力を中心に

日本の教育改革について――教育改革の現状を中心に

NHKの報道自由――戦後NHK報道のゕメリカ寄り化から 日本女性の社会進出

浅谈中文新词中的日语借词 从爱知世博会看日本人的自然观 有关2Channel BBS用语现象的考察 从《棋魂》看当代日本人的成功意识

对中国年轻人语言的研究――从和日语的关联说起 日本庭院的造型艺术和审美价值

浅析日本著名电视主持人久米宏的主持风格――以《新闻驿站》 便利店7-Eleven在北京是否能够成功 试论日本端午节的民俗特征

美丽世界的孤儿――《挪威的森林》中色彩斑斓的人物形象剖析 从语音看日语和闽南语的相似之处

浅谈日语中的性别语――围绕带有“男、女、雌、雄”词根的词语 授受表现――日语初学者的难点 日本の若者の言葉について 日本語の外来語の表記について

「日本語における女性語の過去と現在」 「の」による連体修飾について 外来語の増える現象について 「ている」の用法と意味について 日本語の方言研究について

女性用語における「女らしさ」の規制力の流れ

現代日本語における指示語についてー「コ、ソ、ゕ」の用法と意味について 「日本語国際能力試験と日本語科卒業生の就職の関係 「成人日本語学習者に用い

られるナチュナルメソッドについて

「日本の自然災害と日本人の性格について」 「日本青少年の犯罪について」 「日本人の潔癖について」 日本人の名前からみる価値観 「戦後日本の男女地位について」

日本人の「無常観」についてー日本文学を中心に 科学技術日本語の翻訳について 日本語の敬語の中国語訳について 連体修飾語の中国語訳について 外来語についての中日対照研究 「和室から日本文化をみる」 日本の民族性から日本映画を見る

志賀直哉論ー志賀文学前期と後期の思想変貌及び原因について 日本文化と日本語習得の関係について 日本語科学生の語用的誤用及び関連教授法について

日中両国における身体名にかかわる慣用句についてー「口」「手」を中心に 日本人の性別役割分業観

日本の対中国ODAと中日関係

民族文化から見た日本と中国の伝統祝日 中日両国「政冷経熱」についての研究 「日本企業雇用制度変化の原因」 「中国WTO加盟と中日経済関係」

「明治維新と戊戌变法についての比較」 現代日本人の宗教意識

日本人の死生観から靖国神社問題を見る

戦後日本の大国外交ーゕジゕ経済外交と文化外交を中心に 中日両言語の「反論」表現について

日本語自他両用動詞が取る名詞句に中国語における格転換ー日中同形語を中心に 中日両言語における多項連体修飾語の語順の比較 シク活用形容詞の意味?用法の変遷 日本語の代名詞「彼」について

中日両言語における「婉曲表現」について

中国語、日本語、英語における応答詞の使用について 日本人の漢字使用の一般について 述語省略表現の中日対比

近年日本語における流行語初探

日本における「失楽園」のベストセラーになる原因について 小林一茶の俳句に現れた「人間愛」と「同情心」について 大正末期から昭和後期にかける日本作家の自殺について

中国大陸?香港?台湾三地域における日中同形類義語の使用状況についての調査と分析 「雪国」に描かれた女性の哀と美 中日両国の国花観についての比較

魯迅の「阿Q正伝」と芥川龍之介の「鼻」について 「日本語の表記」

石川啄木の短歌における特徴

「枕草子」から見た日本人の伝統的な美意識 松尾芭蕉と陶淵明の遁世観について

日本語の条件表現「と」形式の中国語表現について 条件表現ト形式とタラ形式について 格助詞「に」と「の」の使い分け 「てある」と「ている」の比較 形式名詞「はず」の意味と用法 日本語の格助詞の「に」と

中国語の「介词」の「对向给」について 条件表現の「ば」と「なら」について 日本語の終助詞「よ」、「ね」と中国語の語気助詞について 日本語の「﹙し﹚て」の中国語表現 事態情報付加連体節の中国語表現について 「日本人饮食习惯与性格关系」

宮崎ゕニメにおける「ユートピゕ」について 日本の少年美ー中世を中心に

「空間利用の仕方から見る日本人ーー狭い空間を中心に」

日本における主婦再就労の主要因についてー経済?社会?思想の面から 日本人の審美理念の主流の発展史 七夕の伝承ー中日両国の七夕について

「新世紀エウゔンゲリオン」から見た日本青年の個人意識 日本中世禅宗における武士文化と茶道 日本女性と社会

日中両国の挨拶語の比較から 中日両国の挨拶語と中日文化 日本人の創造性に関する研究

「中日ビジネスマナーの比較研究について」 日本語専攻学生に適合する教授法の研究 日本語の擬声語、擬態語に関する考察 日本男性の家庭観念の変容

「中日英三カ国語における貿易用語についての対照研究」 日本人の言語行動における内外意識

日本語学習における゗ンターネットの活用 「礼儀作法から見る中日両国文化の相違点」 「日本語中?上級聴解授業とテストをめぐって」 日中同形語に関する比較研究 日本語の敬語の特徴

中国と日本の大学入試制度の比較研究 日中の家制度の対照

教室外の日本語学習者について

挨拶言葉の日中比較ー文化の視点から 日本語学習者の学習動機をめぐって 日本人の曖昧さから見る独特な日本語

苗族と日本の起源との比較から旅行を通して中日友好を進める 中日観光用語に見られる日本語表現 『は』と『が』について

死の寓言――映画『バトル?ロワ゗ヤル』を通して 桜が散っている美

日本の旅行宣伝と中国の比較

テレビドラマで中国の若者に見られる日本語語彙の受容 日本BL漫画と同人における現状について 第三者の目から日本を見て 敬語について

日本の老人問題――日本家庭の関係から見て 少子時代の子どもたち――中日家庭教育の問題点 『もの』『こと』『の』に関する研究 現代日本語動詞のテンス?ゕスペクトに関する一考察 日本文化の基本的な特徴――開放性と主体性

日本外交の戦略――日本外交の転変と心理から見て 日本人の曖昧さ

生き生きとした日本語――擬声語?擬態語に関する研究 桜と日本

日本語の文末表現について 日中温度形容詞の意味分析 敬語表現について 日本の稲作 文化

中日関係の衝突と理解 日本社会の中の敬語

日本の文化――茶道を通して 日本の企業の文化 日本の軍事の働き

日本語から見る日本人――日本人の集団主義 日本の明治維新と中国の戊辰維新の比較 日本人の価値観の変化について

日本人の起源?意識?風俗習慣について

対称的自動詞と単独的自動詞の違いについての分析――意味的な特徴を中心に 漫画から見た日本女性の変化――労働観、結婚観、家庭観を中心に 日中同形類義語の意味用法の対照研究

ゕルバ゗ト族と日本社会の実情――ゕルバ゗ト族から見る日本若者の働く価値観 中島敦の世界

中国日本語教科書における「よ」「ね」の扱い方の考察――四つの教科書を中心に 中国語の日本語訳における人称代名詞に関して 日本の年中行事に見られる中国文化の影響

日本教科書における受身表現の取り扱い方についての考察 日中同形語の考察――『NHK編新用字用語辞典』を中心に 現代中国語に影響を与えている日本語についての考察 茶道に見られる日本人の美意識 日本祝祭日名の翻訳について

談話標識「というか」についての考察

日本人のコミュニケーションに見られる曖昧性――言語行動を中心に 身体に関する慣用句についての考察 会話における談話標識「しかし」「でも」の用法と機能

中国人日本語学習者に見られる音声上の問題点――間延び現象について 慣用句の構成と性質についての考察

中国の日本語教育における授受表現の取り扱い方――授受補助動詞を中心に 対談におけるスピーチ?レベル?シフトの形態と機能

現代小説における接続表現の考察――会話文と他の文の比較 新聞における言語表現の日中対照研究 現代小説における引用表現の考察 女子大生と母親世代の敬語使用から見る敬語意識の変化 ラジオトークにおける相づち表現の考察

会話における勧誘表現についての考察――意志形を中心に

日中両言語の連体修飾語について――「的」を伴う連体修飾語を中心に 終助詞「かな」についての研究

教科書における「のだ」の取り扱いの考察――教科書データベースを利用して 中国人日本語学習者の音声学習に関する考察――ゕクセントを中心に 芥川龍之介の矛盾の創作心理について――「羅生門」を中心に 日中親族呼称についての研究

中国の日本語教育で扱われる擬音語擬態語の考察 時間量を表す副詞的表現についての研究 关于小说《心》的主人公――老师 老年人问题

围绕中日两国拟声词和拟 态词的比较

日本人的集团主义 日本的插花艺术 佛教在日本近代日本的教育

漫画和日本文化的相互作用 芥川龙之芥与自私主义 女性语的变迁 研究敬语的新思路

关于日语拟声词和拟态词的研究 浅析川端康成的文学特色 日本人的人际关系 中国茶文化与日本茶道

日语的表现与日本的模糊文化

闪烁的流星――明治时代女作家樋口一葉 日本文化的自然观

从《放浪记》中了解林芙美子

《我是猫》中,关于夏目漱石的想象力与科学观 由“寂”和“”看日本人的审美观 芥川龙之介与《罗生门》

从《高濑舟》看森鸥外的人生观及社会观 自杀之国

中日文化习俗比较

森鸥外对国家社会问题的直面与关心 从《银河铁道之夜》到作者的理想世界 汉字的训读

关于日语中的片假名语 关于近、现代日本人的自杀 江户时代的刑罚 人间失格刍议 论《明暗》的登场人物

从日语的暧昧语中了解日本文化 《古都》中所表现的传统美 日本人的古代服装

解读《挪威的森林》中的孤独感 日语中的授受表现

《我是猫》在漱石作品中的定位 《道草》主人公健三与人的自我本位 如何正确使用敬语

从日本茶道看日本人的精神和自然观 从《暗夜行路》看作者的创作动机

汉语中的“V着”和与之相对应的日语表现 《破戒》与其描写的部落问题 论《从此以后》主人公代助的叛逆 茶道的精神

中日饮食文化比较

试分析《鼻子》的深层寓意

《跑吧,梅洛斯》与下降文学的一致性 日本人的国民性 日本的传统节日

《地狱变》及芥川龙之介的艺术观 夏目漱石和《心》中的人物 日本人的集团意识 米和日本文化

中国京劇と日本歌舞伎の比較――音楽を中心に

「あまり、あまりに、あまりにも、やたらに、そんなに、たいして」の区別 箸から日本の食事文化を考える 日本の自然観中の森林思想

寺内貫太郎一家のトリックスター――寺内さんについての人物分析 竹を詠む和歌――紀貫之を中心に

古代中日詩歌における植物の比較――『唐詩三百首』と『古今和歌集』を中心に 宮崎駿の作品から映した人間像――『千と千尋の神隠し』を中心に 芥川龍之介の芸術至上主義――作品を通して

遣唐使廃止の原因

「いま、いまに、いまにも、いまや、いまだに、いまだ」の区別 感謝の言葉から見られる日本人の思いやり

「から」と「ので」の用法の再検討――多重因果関係中に見られる「から」と「ので」の使い方

太宰治と「斜陽」

日本民族の排他性――在中日系企業の排他性の表現 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」 日本語の曖昧性

と日本人の曖昧性についての分析

西安外国語学院2005年度日本語学科卒業論文 题名一覧表 中日慣用句の比較から文化の差を見る 『ぼっちゃん』の主人公の性格分析 川端康成――その愛その美その死

完璧な人間性の解剖――『羅生門』から自我の解放 澄んだ心、子どもの目――宮沢賢治の童話世界

古代中日文化交渉の接点を探る――日本の古墳と中国古代墓葬 女性の現状に見る女性解放の障害

谷崎潤一郎の三作品に見る「女性崇拝観」 雑兵たちの行方(戦国末期の雑兵たちの行方)

日本語漢字の変遷に見る日本文化の受容性と創造性 日本人の「謝り」に見る行動様式 日本人はなぜホラー映画が好きか

天皇制再考――戦後存続の天皇制についての分析 日本庭園の「枯山水」に見る「禅」

「家本位」を基盤とする日本人の協同団体主義 日本人の自然観から日本の環境保護を見る

中日企業の面接試験の比較――面接に見る文化の違い

集団主義と個性――松下グループから日本的集団主義を破り、個性を育てる企業文化の考え

日本の「贈答」から「虚礼廃止」へ 茶道に見る日本人の美意識

日本人の病気観(日本人とお土産文化) 茶道に見る中国文化の影響

日本人はなぜ対外拡張に熱中ですか 「曲江流飲」の変遷

文学関係――『源氏物語』関係 和製英語について

日本語の中の他動詞と自動詞

会話の終助詞に見る――日本語の男女の差 神話に見る日本人の自然観

宮崎駿の漫画に見る日本人の反戦観(自然観) 内?外の待遇関係――中日比較 諺から見た中日文化の違い

心は国籍があるか――演歌から見る日本人の心 「くれる」の使い方から見る日本人の人間関係

芥川龍之介の死について――『羅生門』を読んでから

助動詞「べきだ」と「はずだ」の誤用分析――日本語教育のため 関西弁(京都弁)と共通語の敬語づかいの比較 温泉治療に見る日本人の医学観 塾に見る日本の教育と社会

魂の行来――「祭り」に見る日本人の人性近代日本経済の高度発展――技術革新について お坊さんの生活習慣に見る中日文化の違い 日本人の行動様式――その裏の意識 幕府時代の天皇について

箸について――文化の視点から見る

戦後の日本経済の高度成長と中国の改革開放を論じる 「ちょっと」に見る日本文化

日本語学習の問題点――「のだ」を中心に

芥川龍之介『河童』について――河童世界と芥川龍之介の関係 谷崎潤一郎の『細雪』に見る日本人の美意識 身体単語の違いと中 日文化性の比較

『雪国』における川端康成の孤愁

『ぼっちゃん』について――主人公の性格分析

『刺青』について――日本文学から見る日本の女性美 について――谷崎潤一郎の「女性拝跪」思想 「さようなら」と「再見」について

中国語と日本語の文型の構成についての見解 北方四島の問題について分析する 桜と日本人

石田梅岩と心学運動について 清酒から醸した日本文化 日本企業の危機管理体制

「自然に帰ろう」と高度成長――日本経済変化における日本人の自然観 上海師範大学外語学院2005年度日本語学科卒業論文 题名一覧表 中国における日系企業の問題 日本人の自殺文化

「本音」と「建前」から見た日本人の特徴 着物文化――日本服装の代表

日本企業文化からの参考価値――源の影響と自分の特徴 日本の着物と若者

中日の企業文化について 中日両国の高等教育の比較

日本食文化の代表――ラーメン文化 大和魂――桜

漫画とゕニメーションから日本を見る 日本の女性意識について

村上春樹の小説世界と芸術魅力 日本語の流行語

中国語と日本語の区別について 女性用語の特徴

推定の表現方法「そうだ、ようだ、らしい、みたいだ」についての分析 日本語としての曖昧さ

中国語の呉方言が日本語に対する影響

太平洋戦争前「北進め」と「南進め」の矛盾と衝突 日本戦後反省不深刻の由来 尖島閣問題 秋刀魚の味 日本人の本音

日本料理からみる日本人 靖国神社問題

道路交通問題について――中日対照 私の考える日本人の心

日本経済について――日本のバブル崩壊後を中心として 日本の飲食文化の精髄 日本の結婚式 日本の企業 着物について

日本国民性の多様の由来 日本の企業文化

複合動詞の構造と意味用法

助詞「に」に関するいくつかの考察 擬声語と擬態語について 「ね」と「よ」別々の特徴 「しか(ほか)、ばかり、だけ(のみ)、きり、くらい」の用法と区別 スルとナル

セーラー服から見た日本人の制服観 从水兵服看日本人的制服观? 中日両国における国の起源神話輪について 关于中日两国神话起源的研究

労働力不足の時代に直面しての日本の高齢者再雇用 直观劳动力不足时代的日本高龄者再雇佣现象 『雪国』に表われた愁伤美について 试论《雪国》中的愁伤美

学校いじめが消えない理由ーー福岡にある中学校の自殺例を中心に 校园暴力现象不会消失的理由——以福冈某中学的自杀案例为中心

日本の教育制度に存在する問

題ーー 日本、゗ギリス、オランダのいじめ現象の調査分析をめぐって

日本教育制度中存在的问题—围绕日本、英国、荷兰的校园暴力现象的调查分析 戦后日本の農業政策について 关于战后日本的农业政策? 日本社会への外来文化の影響について 关于外来文化对日本社会的影响

日系企業における雇用形態について 关于日资企业的雇佣形式

日本の危機管理政策についての研究 关于日本危机管理政策的研究? 日本語における曖昧表現についての研究 关于日语中模糊表现形式的研究

日本のキャリゕウ―マンの現状 日本职业女性的现状

歌舞伎と京劇の比較 歌舞伎和京剧的比较

高齢化による日本経済の影響 高龄化给日本经济带来的影响

日本語の曖昧性について 日语的暧昧性

日本社会の家庭内暴力について 日本社会的家庭暴力

日本語おにおける女言葉について 关于日语中女性用语的研究 茶道と禅の密接性について 关于茶道和禅的密切型的研究 日本の女性企業家の活躍について 日本女性企业家的活跃

社会的影響から見た日本人の集団意識 从社会影响看日本人的集团意识

日本の「弁当」文化 日本“便当”文化的

『心』における明治の知識人の自己意識 从《心》看明治时期知识分子的自我意识

日本人の自殺心理 日本人的自杀心理

日本のドラマから見られた中日文化の差異 从日本电视剧看中日文化差异

日本人の危機意識について――国民の環境保護意識を中心に 关于日本人的危机意识——以其国民的环保意识为中心

日本の少子化対策について 关于日本少子化对策的研究

日本企業における「残業」の意義 关于日本企业中“加班”现象的意义

日本人特有の「以心伝心」について

关于日本人特有的“以心传心”现象的研究 日本の派遣社员の行方―日雇い派遣を例として 日本派遣员工的去向 ——以临时短期员工为例

中小企業と戦后日本経済の飛躍―「松下」の発展を辿って 中小企业与战后日本经济的腾飞 —探索松下的发展 雇用形态多様化の动向 ―非正规労働者を中心に 以非正式劳动者为中心——论雇佣形态多样化的动向 現代における中日貿易の摩擦―農産物を中心に 以农业品为中心——论现代中日贸易的摩擦

日本自動車工業の再発展―環境問題から考える 日本汽车工业的重振——从环境问题思考

中国化粧品の将来性――資生堂の戦略から学ぶ 展望中国化妆品企业 ——借鉴资生堂的策略

ゕ゗ドルの社会的影響――ジャニズ事務所を中心に 以杰尼斯事务所为中心——论偶像的社会影响 日本茶道文化の発展から見た独自性 从日本茶道文化的发展看其独特性 日本マンガの影響について 关于日本漫画的影响

中日国民の環境保護意識について――ゴミ処理の視点から 从垃圾处理方面分析——论中日国民的环保意识 茶道の礼儀作法から見た日本人の階級意識 从茶道的礼仪看日本人的阶级意识

中日文化における牛の゗メージの違い 中日文化中“牛”概念的差异 ??

能と京劇の表現形式に関する比較研究 关于能和京剧的表现形式的比较研究

宫崎骏の『となりのトトロ』から見た日本人の自然観 从宫崎骏的《龙猫》看日本人的自然观 芸能文化の保存と丧失ーー芸者を中心に 演艺文化的保存和丧失——以艺者为中心

日本料理から見た生食文化 从日本料理看生食文化

第20篇:日语论文精修(材料)

自《商务日语专业建设的实施保障》------日语论文精修

改革开放以来,日本是我国对外经济联系中最大的贸易伙伴;随着越来越多的日企进军中国市场,中日双方经济联系也日趋多样化。在此背景下,我国各大高校相继开设了商务日语专业,培养了大量的日语人才,为中日之间经济联系的深广发展提供了有力的人才支撑。但是,近年来随着市场经济的发展,社会对高层次日语人才的需求越来越大,代写论文原有的课程设置越来越难以适应。本文就高职院校商务日语专业建设与改革问题进行初步探讨。

一、商务日语专业现状及存在问题

简单说来,高职毕业的大部分学生单就日语语言水平是远远不及本科院校毕业的学生的。然而也没能突出自身专业的特点,即”商务“日语。表现为并未达到市场需求的复合型、实用型人才的标准。往往很难满足企业要求,而造成这种供需脱节的主要原因是各高职院校没有培养出合格的商务日语专业人才,特别是学生缺乏应有的专业职场能力,上述现象归根结底是由于商务日语专业建设无法适应时代要求的后果,主要表现在以下几点:

(一) 专业定位及专业面向比较模糊

目前我国各高职院校商务日语专业教育普遍存在专业定位不明确,专业面向不清晰的问题。表现为,混淆本科院校培养学生的目标,对高职高专学生的培养目标要求过高。把培养复合型、应用型日语人才往往作为一个口号。商务日语更直接的实用性与应用性未能凸现,所培养的人才与社会需求明显脱节。

(二) 教材老化

据不完全统计,目前就上海高职高专院校商务日语专业所使用的教材几乎都与本科院校使用的教材是一样的。这样,就很难做到“量体裁衣”。此外,教材的更新速度相对较慢。许多高校几年甚至十几年都在使用同一种教材。教师上学时用的教材也是现在上课教授学生的教材。这就必然会造成知识的陈旧。而语言的学习是需要随着社会发展“与时俱进”的。特别是日语中的外来语和流行口语的表达。因而,学生在教材中学习的某些词汇实际上已经不常用甚至不用,而新的常用词汇却没有学到。

(三) 专业师资群有待加强

精通日语又具有商务实践经历的“双师型”师资严重缺乏是造成专业核心课程偏低的重要因素之一,高职院校中基础日语教师比重较大,商务日语教师偏少,专业核心课的教学几无可依托的专业师资群,应该开设的专业课程无相应的专业教师承担,造成商务日语专业教学的名不副实。

(四) 教学与实际相对脱节

商务日语专业的实践教学除了多媒体教学之外多采用口头讲解形式别无其他。的确,语言课程的授课形式很难做到凭借实物进行相关内容的教学。如贸易实务涉及的单证内容的教学在讲授这类文件时教师常常不以实务中所使用的文本对照着授课,而是一味的“纸上谈兵”。

二、高职院校商务日语专业建设与改革

(一) 传统的培养模式需要更新

但随着改革开放的进行,大量日资涌入,为日语人才开辟了更为广阔的舞台。原有的教学模式已不适应新时代的要求,这就对我们传统的日语培养模式提出了挑战。可从下两点入手:

1) 明确专业面向与定位。 高等职业教育性质的商务日语专业一定要具有针对性。商务日语专业的学生进入三年制高等院校后从“零”开始接受日语教育,经过一年半的基础日语训练后方能进行商务日语的教学教育,论文代写在如此短的时间内要求学生考取其它高职专业所要求的“四证”难度极大而应考虑鼓励学生考取条件占优的一至二门职业证书,包括日语国际能力考试证书。

2) 落实专业培养目标。对于高职高专的学生,应时刻立足于培养复合型、实用型人才这个培养目标。在强化日语语言功底的同时,也要强调商务知识的学习。要平衡商务课程与日语课程的开设数量。目前日资企业或对日进出口贸易公司的报关、跟单、推销、翻译等专业工作岗位应是商务日语专业的目标市场指向,根据该专业现状,商务日语专业应将着眼点放到适合社会需求的具备日语语言基础功底的商务日语运作能力的“复合型、实用型”的人才培养上。培养相关工作岗位所需要的基础的或中高等层次的商务日语人员为

主要目标。

(二) 发展网络教学

如今多媒体技术的发达,给我们教学也带来了方便之处,它的内涵十分丰富,外延也十分广阔。不仅仅是教学手段上的改变和更新。它将渗透到日语教学的各个环节和语言研究的各个领域之中。借助多媒体技术,学生可以最大限度地发挥他们的学习主动性,在轻松愉快的学习环境中获得语言知识和语言技能,同时也提高学生的自学能力。教师还可以利用计算机、幻灯以及实物投影等手段代替传统的书本,既能节省时间,又能增加单位时间内的授课信息量。另外,多媒体技术同网络技术的结合,其功能远远超过了多媒体教学功能,学生可通过互联网了解日本的风土人情,可以接触大量的日语资料,可以用日语进行网上交流,使学生更易于接纳异国文化。

(三) 注重学生的实践实训课

按照学生培养计划,每学期都会安排学生的实践实训课。这部分课时所占比例比较小,但往往也缺少应有的重视。笔者认为,第一学期可以安排日文打字实训课。使学生熟练日文打字,并且了解日文系统的电脑操作。这是每个学生必备的最基本的实践能力。第二学期安排情景会话实训课。安排学生到情景教室,分小组按照主题模块进行实际演练,同时可以借此机会举办一个竞赛来提高学生的兴致。第三学期可以考虑安排学生到企业里去真正的实践、实习。这样就需要学校和企业加强联系,多多合作。

三、商务日语专业建设的实施保障

专业建设的措施保障是保证专业建设思路得以实施的基本前提,专业改革所需的大量、细致、具体的工作须由院系完成,而在宏观建设上则需学校上级部门的大力督促和支持。也要加强对专业建设的投入。硬件多指教学、教研、教改所需的设施设备,软件的范围较广,针对商务日语专业具体现状,软件的投入包括师资结构调整、学生学习的校园文化环境的改善等等。

日语论文先行研究范文
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